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第24回
トスカーナのランドスケープオフィス事情 ― 7
植物カタログの歴史 その1(1930〜1970年)




 update 2008.07.02

リポート : 安部彩英子 / ランドスケープデザイナー 






前述としてフィレンツェのボーボリー庭園の植物カタログについて述べる。
庭園を形成する植物の歴史は長い。庭園作りの初期に使われた植物のほとんどは常緑であり、生垣や並木を主体とした緑の整形や囲むことの重要度が高く、一列・平行・シンメトリーに並べられた樹木、完璧に刈り込まれた生垣、彫刻作品のような刈込が中心だった。後に幾何学的なデザインや花を使ったデザイン、果樹が用いられるようになり芳香性も大切な要素となる。
ボーボリーではメディチ家の繁栄をあらわす樹種もデザインに多く取り入れられていた。例えばミルト(ギンバイカ)やゲッケイジュ・柑橘類に加え、美(ヴィーナス)の象徴であるバラである。ボティッチェッリの「春」ではヴィーナスはゲッケイジュの冠をつけ服にはバラが散りばめられ、オレンジやミルトの葉が背景を飾る。
もともと閉鎖的な庭園が16世紀に「見せる庭園」に変わり始めた時期になると植物の研究も公に大々的になり、庭園を形成する植物の手本が求められた。
ボーボリー庭園で使われている全ての植物がカタログ化され、あらゆる庭園に引き継がれた。
トスカーナ州ではこのカタログに則った計画が多く見られる。ボーボリー庭園にはGiardino segreto(シークレットガーデン)と呼ばれるツバキの庭園があり品種改良を重ねた記録をつづる特別なカタログを作成しておりイタリア最古のものと言われている。カタログには品種とその植え方・植え場所、移植方法・培養土の種類・寄生虫や病枝の排除法・栽培されているナーサリーリストが記録されている。

このように植物は庭園をデザインするための重要なエレメントであり、生き物を愛でるというより、建材のような扱いであったようだ。改良を重ね、品種を生み、美しく見せることで家の繁栄を象徴していた。

庭園にナーサリーの存在は必須、ナーサリーもまた時代を追って常緑主体から果樹、花類と需要に応じて変化している。そのカタログの内容に合わせ、また時代にあわせデザインを変えてきた。
ピストイアのナーサリー誕生は1849年、この地に最初の苗が植えられた年である。
Piante Matiは1909年発足、最初のカタログ製作はその20年後の1929年、今から約80年前である。カタログデザインの変化にも当時のストーリーが隠されている。
このデザインの変化にまつわる話をFrancesco氏に取材した。
カタログの表紙・裏表紙を抜粋、年代順にご紹介しながら、取材内容をご紹介する。

最初のカタログ
最初のカタログ
1909年発足時の名称Stabilimentod’orticultura CASIMIRO MATI&FIGLI(カシミーロ・マーティと息子の園芸農場)はその後現在のPiante Matiに変更された


■ 最初のカタログ(1929年)〜1930年代
「最初のカタログは絵柄も全く無いかなりシンプルなものでしたよ、我が社が発足してから20年後でしたね。発足当時はとても小さな生産畑で数種の果樹と市場で売買する用の苗が主な種類でしたが、徐々に種類や規格サイズが増えていくと共に金額も載せるものが必要になってきたのです。でもカタログと言うよりはリスト表、種類と価格のみでした。その数年後(1933)ですね、基本的なデザインがアーティスティックに変わったのは…この頃は果樹が主流であり重要な生産物でしたので、そのイメージを描ける画家やイラストレーターもまた必要だったと思います。ハードな勉強を重ねた優秀な画家に依頼したと聞いています。そして1930年代はファシズム全盛期、デザインも影響を受けました。例えば、1935/1936年の表紙 【 *-1 】 はファシズムデザインの影響を大きく受けたものです。果物で構成された色彩の調和を頭部に持つ美しい女性像は繁栄と豊かさのシンボルでした。また1936/1937年 【 *-2 】 はエチオピア植民地のイメージからインスピレーションを得たものです。ちょうどこの時期はファシスト党によるアフリカ侵略、イタリアがエチオピアを植民地化した時代背景があります。当時この歴史的出来事を賞賛する意味もあったカタログデザインだったと思われます。」

およそ70年前であることを感じさせない、色使いもデザインもとてもモダンである。時代背景の詳細を知らない我々の目にも飛び込んでくる図柄である。これが雑誌や書物ではなく、いわゆる造園屋さんのカタログということに驚きだ。
この時期から春と秋、年2回印刷する体制が整ってきた。季節で流通する種類が大きく変わるからである。

「こんなに時が経っているのに、当時のカタログは未だに色褪せなく美しい色彩を見せてくれています。この色彩は当時の技術力を遥かに超えた印刷技術だと思います。恐らく活版印刷だったと思いますが、現在では有毒であることから禁止されています。その代表的な表紙は1939/1940年 【 *-3、*-4 】 のもの、この色遣いは見事だと思いませんか? このデザインは我々ナーサリーの発展も意味しています。庭園の女王と表現されるバラの栽培をスタートさせた時代、果物のバックのクラシックガーデンは我々がデザインしたものです。とにかくこの時期は必ずたくさんの果物をデザインに取り入れました。もちろん前述のように果樹が主要な生産種だったからです。その後はバラを筆頭に、マグノリアなどの花木類、灌木類や草花類、そしてコニファ類と拡大していくのです」

*-1:1935/36年の表表紙
【 *-1 】 1935/36年の表表紙
*-2:1936/37年の表表紙
【 *-2 】 1936/37年の表表紙
*-3:1939/40年の表表紙
【 *-3 】 1939/40年の表表紙
*-4:1939/40年の裏表紙
【 *-4 】 1939/40年の裏表紙
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