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■ スペインとイタリアで植物の違いはあるのでしょうか?
植物の種類はほとんど変わりありませんが、土壌と育て方に違いがあります。
例えば、スペインのナーサリーでは、ここピストイアほど大きな樹種は育成できないようです。土壌はよく砂質状になり、いくつかのナーサリーでは畑土に石膏を使うと聞いています。
イタリアの植物はスペインと比べて高い品質と言われます。特に根組織の構造品質、樹木の分枝状態、もちろん見た目形状の美しさもあります。
植物の生命力の源である土と根(心臓部分)と、それを助ける土壌の大切さを感じました。イタリアからスペインに移植された植物たち、管理の重要さが今後の課題のようです。
■ Caruncho氏のデザインについて、感想を聞かせてください。
もともとある植物園のイメージを大切に、今回のBONSAIゾーンのデザインだけを際立たせないよう配慮したデザインだと感じます。植物園の中で高い位置にあるので、このゾーンのどこからでも庭園全体を見渡せるように緩やかな楽しい散歩道を繋いでいる、気持ちのいい空間です。「庭園全体を見守る庭園」という感じでしょうか?
この緑に囲まれながら歩くと、このゾーンの特徴を伝えるいろいろな要素が目に入ります。特に卵形の池を囲む特徴ある陳列エリア、シンボルツリー、銅製の外灯、そして高低差のある緑の壁…。シンプルかつ大胆、そんな気がします。
最近は変わったものを造って話題になり数年で消える作品が増えてくる中で、この作品は長く静かに人々に受け入れられ続けるのではないかと思います。

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この2枚の写真は有名になった田舎の風景デザインですが、Carunchoの名案(小麦、オリーブ、イトスギを上手く組み合わせたデザイン)だと思っています。オリジナル性が高く、オーナメントとして、農芸としてもちろん風景としての小麦の使い方を見せてくれています(Francesco談)。
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では最後に、盆栽についてのコメントを頂くことにします。
■ イタリアの人々にとってBONSAIとはどんな存在でしょうか?
個人的な意見ですが、2つの観点から話してみます。歴史的な観点では、私はまず日本・中国共にある盆栽に、敬意を表します。何故なら古代の文化、国の持つ宗教、哲学をすべて背負ったものだと思うからです。私の中で盆栽とは、芸術という「形あるもの」に至る中間的存在、つまり「根本」に近いような、抽象的なイメージを感じています。盆栽は、小さな世界ですが、厳格な精神修行や自然界と向き合う喜びがあるのではないでしょうか。
もう1つの観点は、ヨーロッパでのBONSAIの立場です。イタリアでのBONSAI=商業です。残念ですが、あっと驚かせる目的で、より芸術的美しさを求め、植物にとって苦痛(“拷問”という言葉を使っていました)を与える姿を作っています。それに多くの人々は、BONSAIはマンションの小さな庭用と思っているのが現実ですね。結局はヨーロッパで見るほとんどのBONSAIは偽物…のような印象です。
栽培の形は似ているようでも、日本や中国の根本的な考え方とは全く違いますね。トピアリー(ツゲ類のような植物を幾何学的に整形する)のような考えに近いのかもしれません。
BONSAIは、商業的に求められた形で栽培されはじめたと思っています。例えば、フェッラーリやヴェスパ、ティラノザウルスの形に刈り込まれたトピアリーのように。
Francescoは、Caruncho氏とはまた違った観点で盆栽を考えているようです。ただやはり樹齢の長さについては触れていません。今度話をしてみようと思います。その前に日本人として、もう少し盆栽を勉強しないといけませんが。
彼は来日した際、浜名湖花博で見学した本当の姿の盆栽の数々に、胸を押さえて「感動しすぎてドキドキと苦しい」と、本当に感動していました。確かに、一緒に見ていた私も、小さな体で100年以上の単位で生き続けるパワーを目の当たりにして、ドキドキしたのが思い出されます。
次回はイタリア現地取材に行きますので、その内容をお伝えしたいと思います。
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