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ジュゼッペさんが言うには、ブリオン家墓地の設計にあたってカルロ・スカルパは、非常に日本文化を盛り込んでいたようである。カルロ・スカルパが装飾手法としてよく用いるタイル配列があるが、例えばVeneziaのFondazione Querini Stampalia(クゥエリーニ・スタンパーリア財団)ではタイルの1辺の長さが8cmで有るのに対し、ここでは日本の尺寸に近い7.5cmになっている。また彼の代表的なディティールの段差形状も、他の場所とは違い3・3・7の比率で構成されている。
Padiglione内部に入ると突然、視界が遮られ外界と切り離されたようになる。中心部にある壁は今も鮮やかな金色に輝いていた。スカルパは禅や瞑想にも興味を持っていたという。ここにもやはり二つの輪を交差させたシンボルマークがあり、輪の隙間から覗くその先にはブリオン夫妻の墓が静かに映った。 【 写真 55〜59 】
■ カルロ・スカルパの墓
最後にカルロ・スカルパ本人の墓を案内していただいた。礼拝堂横のコンクリートの門から入るのだが(一般墓地の方からも入れる)、これまたカルロ・スカルパ特有の変わった真鍮の鍵がついており、重みのあるコンクリートの門がゆっくりと開いた。ジュゼッペさん曰く、「彼は確かに偉大な建築家だったが、墓の番をする私の事までは考えてくれてなかったようだ」。この門の扉は閉じる際に手が挟まりやすく、ジュゼッペさんも何度か鍵を掛けようとして手をつめたそうである。笑いながらそう説明してくれた。
その扉を抜けた先に、スカルパの墓はあった。ブリオン家墓地の片隅にひっそりと眠るカルロ・スカルパ。彼の墓石をデザインしたのは、息子のトビア・スカルパ(Tobia Scarpa)である。1978年仙台市でカルロ・スカルパは不慮の転落事故に遭い、完成間近だったブリオン家墓地を見ずに亡くなった。まさか自分もその横に眠る事になろうとは思ってはいなかったであろう。 【 写真 60〜63 】
ジュゼッペさんが最後に言った言葉が印象的だ。「彼らには感謝しているよ。こんな片田舎に住んでいても、世界中の人たちと会う事が出来るのだから」。
多くの方が絶賛するスカルパの建築を毎日管理し世話するその老人の言葉からは、建築の専門家が言うような学問的な事ではなく、その建築物と共に生きている人だけが知り得る真実を聞けたような気がする。そして光栄に思えた。稚拙な表現になってしまうが、まるで忍者屋敷のように様々な秘密や仕掛けがこの墓地にはあり、ここを訪れた者だけがそれらの謎を解けるのではないだろうか。
「建築界の詩人」の詩を、春のそよ風の中で、そっと触れる事が出来たような気がする。
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