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デザインリポート
名古屋発 ─ くらしの文化
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第6回
絞りのふるさと「有松」 ─江戸時代の情緒あふれる町並みと有松絞り─

 update 2004.09.29

望月久恵 / インテリアコーディネーター 




■ はじめに
名古屋市の南東部に位置する「有松」は、浮世絵師の安藤広重による東海道五十三次の「鳴海の宿」に描かれていることで有名である。その絵の中で、旅の土産物として「名産有松絞り」が売買されている風景とそれを眺めている旅を行き交う人々の姿が生き生きとした表情で描かれている。

名古屋市は有松の旧東海道に並び建つ江戸時代からの町屋建築を町並み保存指定の第一号地としており、全国の町並み保存運動のさきがけとなった。その貴重な建築物の数々は、愛知県と名古屋市から「指定文化財」の指定を受けているが、その景観は旧東海道にあるゆったりとした時間の味わいがあり、せわしなく車が混み合う国道1号線からは想像できない江戸情緒にあふれている。

また有松にある『布袋車』(ほてい)、『唐子車』(からこ)、『神功皇后車』(じんぐうこうごう)という三輌のからくり山車(だし)が保存されていることも町の魅力のひとつである。この三輌のからくり山車は、毎年10月の第一日曜日に開催される「有松祭り(天満社祭礼)」に曳きだされ、多くの人々がからくり人形のパフォーマンスに喝采の声をあげている。からくり山車といえば飛騨高山の祭りをイメージする人も多いと思うが、実はからくり人形は尾張が発祥の地であり、そこに見るからくりの知恵と工夫は、愛知県のモノづくりの精神の根源を象徴するものでもある。ここ有松で保存されている三輌の山車は、名古屋市が「有形民族文化財」として指定している。

今回は、東西の交流の十字路として位置づけられる中京地区において、東海道を行き交う人々の心をとらえた有松絞りとその町並みと文化について、「有松」からリポートしてみたいと思う。


■ 「有松絞り」の物語
有松絞りで全国に知られている有松の町は、慶長13年(1806)に尾張藩の奨励により誕生した。有松という名前のとおり、江戸当時はこの地には松林がいっぱいに広がっており、東海道を旅する人々が追いはぎに襲われるという事件が続発していたらしい。尾張藩はここの治安維持に頭を痛め、有松への入植者を公募することで問題の解決をはかった。

そうして入植した中に有松絞りの創始者・竹田庄九郎の名があった。竹田庄九郎は名古屋城の築城に関わっていたが、そのおりに九州から参加していた人々の着ていた藍染の絞りの着物に驚き感動し、当時は貴重品だった木綿で豆絞りの手拭をつくり始めた。ここに有松絞りが誕生したのである。もともとこの土地はあまり稲作に向かない地質でもあったため、知多の特産である木綿を利用し、絞りという付加価値をつけたものが有松絞りとなったわけである。

有松絞りは、五代将軍・綱吉の将軍職就任を祝い、馬の手綱を絞りで作って献上した頃から全国に名声を得た。東海道を旅する人々は、有松絞りの手拭や浴衣等を買い求め、お土産にしたという。広重による鳴海の宿の浮世絵に有松絞りの風景が描かれているのは、こうした理由からであった。




【 1 】 名物有松絞りを吊るした店が並ぶ、手前の女性がその美しさを眺めている。のれんにある菱形内の「ヒ」は広重の印、脇の「竹内」は版元名。

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【 2 】 竹田庄九郎の碑

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【 3 】 碑の説明文

【 4 】 からくり山車 布袋車



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