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錯視はCGで表現されるようになってから、飛躍的に面白くなった。とにかく、思いつくものを直ぐにコンピュータの画面上に作り出せるし、微妙な調節も手軽に行なうことができる。立命館大学の北岡明佳先生のページはとにかく画像の多さで圧倒されるが、これもCGがあるからこそできる技だ。
というわけで、今月は錯視について考えて見たいと思ったのですが、ちょっと勉強不足で正面から錯視のお話しを進めることはできないなと思っています。そこで、錯視を一つの表現として考えたときにどのようなことができるかを考えてみることにしたいと思います。もちろん錯視と言っても色々な種類があるので、すこし、分類して話を進めていきたいと思います。
まず、両目で見るために起こる錯視と片目で見ても起こる錯視に分けてみます。北岡先生の有名な蛇の回転(http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/rotsnakes.html)は両目で見るから周辺視野での錯視が強く起こるのだと思います。一方、壁のしみが何かの形に見えるような錯視や、並んだ二本のバナナが同じ長さなのに違って見えるような錯視は片目で見ても効果は変わりません。
ここでは、片目でも見られる錯視について考えていくことにします。私流の勝手な解釈で言うと、「これらの錯視は、人間の脳に情報をなるべくまとめて、単純なものもしくは単純な関係に置き換えて整理しようとする癖があるためおこるもの」だと思っています。色々な錯視の現象をこの単純な一文にまとめてしまいたいと思う私の欲求も基本的に同じ種類の欲求ですね。
バナナの錯視で言うと、同じ長さのバナナを比較する際に、一方は長い辺、もう一方は短い辺のそれぞれが接しているので、両方を比較すると当然長い辺が長く見えるわけですが、その関係をそのままバナナ全体の関係に置き換えてしまうために起こる錯視と考えられます。
壁のしみや木目が顔に見えてしまうのも、複雑な模様より、知っている顔などに置き換えた方がまとまりがよく単純化できるので、顔に見えてしまうのだと考えられます。
このようなゲシュタルトは普通に絵を描くときにも作家は知らないうちにそれを利用しているはずです。絡み合った線が何かしらの形に見えるようにしたり、影が意味のあるものに見えるように描いたりするなどというのはよくやることです。そもそも、絵は二次元の紙に書いたものを、三次元のものに見せている錯視といえるわけですからね。
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