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―自然は万人に公平に信号を発信しています。問題は受信する側にあって、信号を正しくキャッチできた人が、発見の栄誉を得るのです。(新しい量子生物学、永田親義著 講談社ブルーバックス p57より)
■ リテラシーという言葉で考えてみる
ピタゴラスイッチで有名な佐藤雅彦さんの本に、「イメージの読み書き」という本がある。そしてその下にliteracy of Image と書かれている。リテラシー(literacy)という言葉の意味をよく知らなかったので辞書で調べてみると「読み書き算の基本的能力」と出ていた。通常読み書きするのは文字だが、この本の場合文字の代わりにイメージを読んだり書いたりするという意味のようだ。
イメージをどうやって読んだり書いたりするのだろうか。この場合イメージというのは、黒で描かれた線描のグラフィックで、なにかの情景や図のようなものが抽象的かつシンプルに描かれているだけである。あるいはそれがページの見開きで2コマ漫画のようになっている。その限られた情報からその意味を読み解くわけである。謎ときのようである。 【 写真 1 】
本来リテラシーというのは、教育が行き届かない社会において識字率をあげるときに使われる言葉だろう。敷衍すれば、外国へ移住した時その国の言葉を読み書きできなければならないがそういう状況でもリテラシーという言葉は有効である。しかし、近年コンピュータや新しいメディアの日常化によって、住み慣れた母国に住んでいるにもかかわらず情報語というコンピュータ関連の新しい言葉が必要とされる情報化された場所・社会に変質してきており、その分野で特にリテラシーという言葉が必要とされている。
すなわち、コンピューターリテラシーやインターネットリテラシー、メディアリテラシーという言葉であり、コンピュータやインターネット社会のしくみを理解し、選別し、使いこなす能力や常識のことである。こうした新しいコミュニケーションにはそれを読んだり書いたりするための能力が必要となる。しかし、先述の「イメージの読み書き」における使い方をみてみると、リテラシーという言葉が言わんとしていることは、コンピュータや新しい知識以外にもあてはまる。
たとえば長い経験を持つ樵や狩人は山の地形やその危険のしるしを読み解き身を処することができる。これだってマウンテンリテラシー、あるいはネイチャーリテラシーといえるだろう。自宅ならどこに何があるのか把握しているという意味では、自分ちリテラシーなんて冗談めかしていえるだろう。
■ コンテクストのリテラシー
この世界には一見無関係に見えるものが裏ではつながっているということがよくある。裏側も視野に入れて見ないと状況はつかめない 【 写真 2 】 。しかし、裏側と言っても浅い深いがあり、浅いものは対症療法と呼ばれるものに近い。深いものは東洋医学のようにホリスティックに対象をとらえる。このワークショップでは裏にあって表側に影響を与えている深く本質的な仕組みをコンテクストと呼んでおり、大きく分けて自然的コンテクスト、社会的コンテクスト、精神的コンテクストの3つの側面があると考えている。
こう考えると科学もそうじゃないかと思いあたる。科学にも自然科学、社会科学、人文科学の3つの分野がある。しかし実験室を舞台とする科学に対し、日常生活を舞台とするデザインにおいては、途中までは科学的思考を利用するが、あるところからは日常感覚の直感に従い、科学が限定している範囲を超えて裏側を想定することが可能である。なぜなら、日常世界は、やがて科学で証明されることになる仮説が生まれる場であるのだから。
さらには生活のとらえ方も、私たちが生きている世界としてではなく、私たちが生かされている世界としてとらえ、世界を客体化せずそこに依存する一部の存在としてとらえることも可能である。その私たちを活かしている世界の表面世界の背後にあるマクロな自然からミクロな自然へ至る連続性や関連性、それらを貫通する働き、そして日常の表層意識に常にひそかに影響を与え続ける深い意識やさらにもっと深い意識の存在など、日常の土台となっている仕組みをここではコンテクストと呼んでいる。そしてコンテクストリテラシーというのは、浅いものから深いものまでさまざまなレベルがあるにせよ、そういう仕組みを認識し、読み解き、気づき、表現する能力のことである。それを身近なところから探ってゆきたい。
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【 1 】 イメージの読み書き 慶応義塾大学佐藤雅彦研究室著 より (ヘリコプター)


【 2 】 見えないところでつながっている

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