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第57回 (5)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情





X. 誰もいない室内

ハンマースホイの真骨頂とも呼ぶべきこの章。展覧会公式サイトのURLにもなっている「静かな部屋」が並びます。「静かな部屋」 と感じるのは、音で充ちていた室内を知っているからであり、「誰もいない室内」と思うのは、誰かがいたことが憶えているからです。

「陽光習作」
1906年 デーヴィズ・コレクション B312
Photo (c)Pernille Klemp

【 写真 11 】

ドアノブのない、何処へも出て行けない白い扉と、光を切り取っては床に置いてゆく格子窓。部屋の内は家具も人間もすべてが省かれ中空となっているのに、なにかいっぱいに充たされているように感じられます。絶対的なニュートラルが支配する、なにを投げ込んでも中和・無効化される磁場。円の面積の求め方の概念を説明するときに、中心点に頂角を置く扇形を想定し、その扇形を二等辺三角形に置き換えて限りなくこまかく切り出す方法を習ったことを思い出しました。小さく砕くことで、曲線に近づいてゆく直線。

日常生活における大小の選択のたびに失われていったものの破片。朝の光を招じ入れ、赤く燃える夕焼け雲を映し、嵐の夜には雷鳴に震え、いずれは時の重みに砕け散るであろう窓。彼の描き出す光と空気には、正も負も、在も不在も、とにかくすべてが含まれているのです。なにを描くか描かないかだけでなく、描かないものをいかに表現するか、そこに腐心した彼の室内画は、むしろ肖像画以上に肖像画らしいといえるかもしれません。

「白い扉、あるいは開いた扉」
1905年 デーヴィズ・コレクション B309
Photo (c)Pernille Klemp

【 写真 12 】

いつになくドアノブがしっかりと描かれており、それを押しあけて、こちらの人生から退場するように静かにこの部屋から出て行った誰かがいたことが示唆されています。自分の意識はこの部屋に帰属し、いつも見送るばかりで出て行くことは叶わないようです。立体映像とあわせて鑑賞することにより間取りも身体になじみ、まるで自らが住んでいたような淡い錯覚をおぼえるほど知り尽くした感のあるストランゲーゼ30番地ですが、かつてここに暮らした者というより、むしろこの函自体が自分であるといったほうが近いように感じられます。そしてこのがらんどうの筈の空間を充たす、空気感以上に確かな質感、触感。例えば、もはや永遠に思い出すことはないだろう記憶。どんなに忘れたくなくても薄れてしまった思い出の、感覚だけが残ったもの。或いは未来からの追憶。

私には物心ついた頃、「この風景は大人になったときひどく懐かしく思い出すだろう」と強烈に感じ、その未来の自分を思ってすでに懐かしさで胸がしめつけられたという経験があります。「時計が午後3時をさし、窓から差し込んだ橙色の西陽が居間のテーブルの上のダイヤル式電話を照らし、母が台所で異国の歌をハミングしている」… というシーンで、その予感のとおり、現在でも午後3時という時刻には切ないような橙色のイメージがつきまとっています。しかし実際には、窓の向きからして西陽が差し込むことはありえず、あのハミングも、大人になってから耳の底に残る母の歌声をたよりに調べたところボロディンの「ダッタン人の踊り」と判明したのですが、母の知らない曲でした。胸の疼きだけが唯一の証拠である、不可思議な思い出。

ハンマースホイが描いていたのは、こうした「未来からの思い出」だったのかもしれません。彼の視座はいつも遠い未来にあり、そこからあの静かな部屋を、つねに終わったものを振り返るようなまなざしで、日々という色つきの薄いガラスをたくさん重ねて透かすように眺めていたのではないでしょうか。あったのかもしれないものや、永遠に喪われたようなもの、ただひとりだけが目撃していた光景、誰にも知られなかった風景、すべてをひとしく尊重し、掬いあげて。



夢の中で何度も訪れた場所に、現実世界で足を踏み入れたような心地を味わうことになるこの展覧会。会場ではそれぞれの内に沈み込んで鑑賞にふけっていた人々が、一歩出口の外へ踏み出すなり魔法が解けたように饒舌に感想を語り合っているのを目にしました。普遍的な生活風景を描きながらひどく個人的な、やわらかいところへ迫ってくる作風に、鑑賞者それぞれが自分なりの名前を、形容を与えたくなるのがハンマースホイの特徴のようです。楔としての言葉を、この不思議に懐かしい場所に戻ってくるための目印として打ち込みたい、というところでしょうか。

普遍を究極まで追い求め、独自の視点から表現することに成功した点でハンマースホイは、記録者というより予言者に近いといえるかもしれません。宇宙の理のすべてが眼に含まれている予言者。その眼から照射される光が、時を超えて照射する光がカンヴァスに灼きつくようすを想像してみます。自分の身体をも包み込み透過してゆく、重量も温度もなく、ただほんのり心地よいようなその光は、きっとうっすら碧色にけぶる仄白い色をしているに違いありません。





 ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情

 会場:国立西洋美術館
 会期:2008年9月30日(火)−12月7日(日)
 休館日:月曜
※(ただし、10月13日、11月3日及び11月24日は開館、10月14日(火)、
  11月4日(火)及び11月25日(火)は休館)
 時間:9:30〜17:30、金曜日のみ20:00まで
※いずれも入場は閉館の30分前まで
 観覧料:一般 1,500円
 URL:http://www.shizukanaheya.com
 問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)





陽光習作
【 11 】 「陽光習作」
1906年 デーヴィズ・コレクション B312
Photo (c)Pernille Klemp

ふくらんだりしぼんだり
【 12 】 「白い扉、あるいは開いた扉」
1905年 デーヴィズ・コレクション B309
Photo (c)Pernille Klemp



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