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《彼らと私たち、私たちと彼ら》 2000年
鏡、剥製動物、布製玩具 / サイズ可変
Courtesy: Marian Goodman Gallery, Paris / New York
撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館
【 写真 1 】
天井から吊るされた、微風に揺らめくたくさんの鏡。宛てがわれたそれを、この世に於ける自分の席、自分で占めることを許されたスペースのように陣取っているのは剥製の動物たち。いずれも、頭部が別種の動物(ただしぬいぐるみの)に置き換えられた、ポップなキマイラになっています。兎や犬の顔を持つ猛禽類や、蛙やヒヨコの頸を無邪気に傾げるリス。某有名キャラクターのネズミや小人などもさりげなく混交しています。
禁忌をおかすような根本的な違和、しかしそれをねじ伏せるような不思議な融和のエネルギーも同時に働いています。胎内物質と魂を抜かれた本物の殻と、本物を模した似姿から詰め物を取り除いた偽物の殻。ここまでくれば同質、ということでしょうか。もどきであるからこそ違和感も少なく馴染み、愛玩用につくられたものだからどうしたって愛らしい仕上がりになり、観るほうもまず受容の回路が開くのでしょう。先入観と習慣の、怖ろしさと便利さ。
鑑賞者は絶えまなく鏡に映り込み、作品内へと取り込まれます。こちらが見ていないときでもあちらの勝手で見られており、作品の下を移動するたび感覚のあちこちが、洗濯バサミでつまんで持ち上げられるように微かに引き攣れます。メサジェによると、これは例えば会議に臨む人間たちを暗喩しているのだとか。シーンによって仮面を着けかえ、その場を乗りきってゆく人間たち。人間が人間の仮面を被るのは至って日常の行為であり、むしろ自然な風景ですらあるのに、動物が動物を被ると途端に何かタブーがおかされているような落ち着かなさを感じる。でも素材がぬいぐるみであれば意外と受け容れてしまう、その順応と拒絶のおかしなバランス。私たちはかくも“人間”と“それ以外”を区別して生きているのだと気づかされます。昨日と同じ日常生活を続けてゆくために、多くのことに眼を瞑りあって。
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【 1 】 《彼らと私たち、私たちと彼ら》 2000年 鏡、剥製動物、布製玩具 / サイズ可変
Courtesy: Marian Goodman Gallery, Paris / New York
撮影:渡邉 修 写真提供:森美術館

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