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1973年、シカゴにて、ヘンリー・ダーガーが81歳で息を引き取ったとき、この身寄りのない老人が一体何者であったのか知る者は皆無でした。最も近しい人物で、生活面の補助(正確には、家賃の値上げをしないで安価におさえてあげていたそうです。)を与えていたアパートの大家、ネイサン・ラーナー氏が把握していたのも、”訪ねてくる友人もない孤独な老人。敬虔なカトリック教徒であり、性格は几帳面。他人と交わす会話は殆ど天気の話題に終始”という地味な人物像にとどまっていました。
遺品の処分を任されたラーナー氏が故人の部屋に足を踏み入れたとき、主を喪った壮大な内面世界が、初めて外気にふれることとなります。 タイプライターで清書された約15,000ページにも及ぶ膨大なボリュームの物語『非現実の王国として知られている国の、ヴィヴィアンの少女たちの物語。あるいは子供奴隷の反乱が引き起こした、グランデコ=アンジェリニアン戦争の嵐の物語』と、そのために作られた300余点の平面作品。ラーナー氏自身がシカゴ・ニューバウハウスの中心を担うアーティストであったという幸運な巡り合わせもあり、この作品群はその価値を認められ、世の中に出ることになったのです。
ラーナー氏、そして彼に続く研究者たちの尽力によって少しずつ解き明かされてきたその作品世界を、日本初公開の作品や、実際の部屋の写真などの貴重な資料とともにひもとく今回の展覧会。
その存在自体が物語であるようなダーガーの人生の、全体像に迫るものになっています。
◆ 彼の暮らした小宇宙
最初の展示室、マントルピースのある応接間には、彼が暮らしていた部屋に飾られていた作品が集められています。
初期のコラージュ作品に、物語の地図や、人物設定画など。地図には”Henrietta”や”Ophelia”などの女性名の地名が多く見受けられます。
ヘンリー・ダーガーは、幼い頃に母を、妹の出産の際に喪います。殆ど触れあうことなく妹は養子に出され、ダーガーは父親の健康上の理由から児童擁護施設へ。そこで感情障害と診断されて知的障害児の施設に移されたのですが、実際には精神遅滞ではなかったため、必要な知能・情操教育を受けることができず、苦しい幼年時代を過ごします。そこへ届いた父親の訃報。天涯孤独の身の上となったダーガーは17歳のとき施設を脱走します。そこで清掃人や皿洗いの仕事をする傍ら、19歳からこの物語世界の構築に着手します。
幼年期に、自分から周囲の環境を疑ってかかるのは難しいことです。施設にいるあいだに彼を苛んだ不安と焦りはどれほどのものだったことでしょう。いくら期待しても、ひたすら待ってみても、手ひどく裏切ってくるばかりの不条理な運命。ついに愛想をつかして外へ飛び出したものの、そこに広がっていたのは、自分を待っていてくれる人も、自分を知る人すらもない不毛の大地。陸にあがったばかりの魚のように外圧に潰されてしまわぬよう、自衛のために強固な内部世界が築き始められたのは必然でした。生き別れた妹の欠落も、この王国では反転され、充たされて復活さらに増殖し、7人ものスーパーガールとして登場することになります。
会場風景 【 1 】
「THE BATTLE OF CALVERHINE」と題された、全面コラージュによる巨大な作品です。
彼が外の世界で集めてきた素材が次々に組み合わせられ、例えば散歩中の紳士の画像のような、本来なら戦闘に巻き込まれるはずのないものがそこに置かれ、他の誰かを圧し潰し、やがて自らも上から重ねられる素材や色に埋もれてゆきます。
それぞれが有機的な関係をむすぶことはなく、ただひたすらな混沌が積み重ねられていきます。
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