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地獄のアイネイアス 【 2 】
ヤーコプ・ファン・スワーネンブルフ
油彩、カンヴァス 101.5×150.0cm
叙事詩「アエネイス」第6巻を舞台に、作家が自由に発展させたもの。ごぼごぼ、しゅうしゅうという大気の唸りがこだまする空間は、温泉地帯を訪ねた際の印象がイメージソースになっているともいわれています。
ちょうどアイネイアスが黄泉の国に降り立った冒頭のシーンが、右端の怪物の口の中で展開されています。
知性や理性というものからもっとも遠いタイプのおぞましさを具現化したような怪物の口から吐き出されることになる物語。
新たな冒険の入り口は、誰かの排泄口であるかもしれないという可能性。
さて、黒煙立ちこめる地獄の空から、そして自分たちのこしらえた建築物から、ぼろぼろと崩れる蟲の山のような人間たち。あたりまえのように非力で、あらためてそこについて警告を発したり教訓を垂れたりするまでもないという印象。これが、画面中盤の船に乗るアイネイアスを取り巻き、執拗に繰り返されています。所構わず繰り広げられる阿鼻叫喚のシーン、しかしどれにも理屈や確たる因果関係が見受けられず、罰や恩赦の要素がありません。
ボッシュのあの有名な「快楽の園」を彷彿とさせる構成でありながら、両作品の最も異なる点がこの“ルールの有無”ではないでしょうか。ボッシュの作品においては、もっとおぞましく不可思議な生物が詩情豊かに描き出されていましたが、根底を流れる勧善懲悪・因果応報の概念は揺るがず、それが独特の美しさの発露につながっていました。
しかし、ここにあるのはもっと等身大の腐臭と不快感です。善と悪、絶望と救済のバランスをとるでもなく、強い教訓と宗教性を含ませた地獄絵に仕上げるのでもなく、自身の中でとぐろを巻く瞑い熱をそのまま映し出したような、素直な手ざわりがあるように感じられます。そうするとこの臭いは、画面に描かれたどの事物・情景でもなく、カンヴァスを覗き込んでいる作家自身や私たちがいるこちら側に属するものなのかもしれません。あちら側から見れば、「うわ、これはひどい」「人がゴミのようだ」と覗き込んでいる私たちこそが、額という怪物の口の中にいる、最もおぞましいものであるという状態。
想像力の翼を限界まで拡げてよいとなったら、人間は、楽園よりもよっぽど地獄のほうがずっとリアルに想像することができ、その描写にも熱を注ぐのではないでしょうか。現世とは随分と地獄寄りなのかもしれません。
そしてどんな世界の争いやまつりごとも、一匹の怪物の胎内で繰り広げられているのだけのものなのかもしれない。いつなんどき、その口が閉じられ、咀嚼及び嚥下、内臓の活発なる蠕動運動が開始されるとも知れません。
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【 2 】 地獄のアイネイアス © KMSKB-MRBAB

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