ジャパンデザインネットのトップページ
リポート
「デザインの仕事 ─ アウラの新たなる伝統への挑戦 ─」「エンツォ・マーリ講演会」
 ジャパンデザインネット
 リポート
 JDNリポート
 





「デザインの仕事 ─新たなる伝統への挑戦─」展に先駆けて2002年11月18日に「第14回AXIS Forum “エンツォ・マーリ講演会”」が開催された。講師はもちろんエンツォ・マーリ。50年にわたり、ダネーゼ、カルテル、ザノッタ、ドリアデ、アルテミデ、マジス社など多数のメーカーの作品を手がけてきた、イタリアデザイン界の巨匠である。その活動はプロダクトデザイン、グラフィックデザイン、アートときわめて広く、これまでに発表したデザインの数は1,500以上、また社会学者としての側面も持っている。エンツォ・マーリといえば、故ブルーノ・ムナーリと共にダネーゼ社製品のデザインを手がけたことで国際的な評価を得ており、ご存知の方も多いはず。講演会の内容は「新たなる伝統 ─いま問われるデザインの本質─ 」テーマに、デザインの社会的役割・本質について、また展覧会で発表された波佐見町の職人たちとのワークショップの報告など。



「ずいぶん長い間、もちろんデザインの仕事もしていますが、仕事の他に私のライフワークとなっているものがあります。それは議論です。本当に口角泡を飛ばして話続けているのですが、それは全デザイン界を敵に回して私が戦いを挑んでいるからに他なりません。」

開口一番に、自己のデザイン論について熱く語り始めるマーリ氏。氏は現在「デザイン界、とりわけデザインを学ぶ大学がいまカラオケ状態となっている。」と指摘します。
カラオケでは、自分の作った歌ではなく誰かの作った歌を歌います。つまり、「自分自身で作り上げたフォルムではなく、もはや何かに似た形をしたフォルムしかつくられていない。」と指摘するのです。

「私たちが本当に理解しなければいけないことは、見かけだけで判断してはいけない本質が美しいものだけをフォルムと呼ぶのだ。
私も若い頃そうでしたが、若い人は特にフォルムというところに誤解をしがちである。それは、フォルムとフォルマリズムは形式という観念的な違いがある。」

「しかし、フォルムという言葉はそのものの実態、実質そのものなのです。 これはただのポエティックな表現ではありません。科学的にも証明されています。何らかのことを伝えようと思ったら、必ずフォルムを通して伝えなければなりません。同様に、言葉もそして漢字もひとつのフォルムです。そのフォルムを通じてそのフォルムが持つ意味を伝えます。」

「今日の私のお話の中で装飾、デコレーションという言葉が出てきます。しかしそれは、単なる表層的なものではなくて、何か伝える実質として伝えるデコレーションを指します。
私がここで話すフォルム、そして絵付けのデコレーションとは本質そのものです。そしてこの本質というのはほかならぬ、私たちが生きている社会の中心的な問題を私たちに訴えるものなのです。これは単にファッションや流行の問題ではありません。ミニマリズムだ、80年代デザインだ60年代デザインだとかそういうものを言うのではなくて。私が今日話すのは、あくまで実質であり本質である、それだけです。
そして本質とは何かと言うことを話すときに避けて通れないのが、産業、工業とはなんだろうか。また手仕事、手工業とはいったいなんなんだろうか、ということになります。」





「産業と手仕事の職人仕事。この2つは一見異なっているように見えますが、実は同じものなのです。」と、マーリ氏。それではどうして違ったように見えるのでしょう? それは、「恐ろしい解釈が行われているから、間違った解釈が行われているから」だと言います。
「産業、そして工業というものが生まれる前、ほとんどの製品が手作業、手仕事出作られていました。昔ものを作る人は、ものを作るために必要な道具を持っていました。それだけではありません、ものづくりの文化をすべて内包していました。一人の人が物を作るすべての工程を自分一人で完成させていたのです。しかし、それは一点ものであったりと、少数のものとしてしか作られていませんでしたし、一つのものを作るのに大変な時間がかかるものでした。」
こういった職人達は、王様やお金持ちの貴族のための仕事もするようになります。そして、“平等”というスローガンのもとに起こったフランス革命により、「一般市民は平等の権利を獲得し、奴隷の状態ではなくなりました。そうなると今度は、すべての民が王様や貴族が持っているものと同じものを欲しいと切望するようになります。そこで、最も抜け目ない、頭のいい職人は工場を発明します。つまり、なぜ産業が生まれたかというと、その最も本当のルーツというのは、“職人達が低価格でたくさん物をつくらなければいけなくなった”ということからなのです。」
「低価格で物をつくるにはどうすればいいか、いちばん簡単な方法は、プロジェクト、企画デザインの部分をなくすことに他なりません。職人たちは昔、1点ものを作っていたときは、ほんとに時間をかけて高いものを作っていました。しかし、そうではなくて、デザインは1つで10万個作ろう。そうすると安くなる。」
つまり、マーリ氏によると産業とは手仕事の職人仕事の延長線上に位置します。


「産業のいいところ、肯定的な部分を言いますと、このような道のりを経て、みんながいろんなものを手にすることが出来るようになりました。セーターもくつしたもメガネも、低価格でみんなが手にすることができます。そのかわりに、罪な部分、否定的な部分が生まれます。これが、ほんとうにおぞましいいまの状況なのです。それは、誰もが阻害された中で仕事をしなければいけないという状況です。昔は、一人の職人がすべての工程を自分の頭で考え、自分の手で行ってきました。ところが今、全工程を管理できる人は居ません、それぞれが一つの工程だけをもくもくとリピートするという時代になってしまいました。一つの工程だけをすればいいのですから、それほど勉強も研究もする必要がありません。養成にも時間がかかりません。同じことを出来るだけ早くやるという効率だけが、必要とされます。」

「“デザイン”という言葉、イタリアでも日本でも英語が使われています。ところが、イタリアではデザインという言葉はもとは芸術の最も根本となる「ディゼーニョ」つまり、素描やスケッチ、絵という意味を表し、ルネッサンス時代に遡ります。しかし、デザインという言葉が今世界を席巻しているというのは、イギリスが産業革命をおこした国だからである。産業革命は標準化、そして共通のもの、ということを旗印に起こった素晴らしい革命であるにも関わらず、悲惨な自体をもたらしてしまった。石炭で町じゅうが真っ黒になったし、10歳の子供も工場に借り出されて働かされた。それが産業革命の実態だ。リチャード・モリスが標榜していたユートピア思想。つまり、すべての職人が自由に、活き活きと仕事が出来るというユートピアをぬりかえてしまった。」





講演会の後半は、スライドを使ってマーリ氏が手がけたプロジェクトの数々について語ってくれました。その内容は一貫して手仕事の大切さというものを軸にしており、ものをつくる人一人ひとりの意識のあり方に訴えかけるものでした。
まず、マーリ氏は現在の産業において全ての作業・仕事が分断されていることを指摘します。「この方程式、図式は産業すべての作業、仕事が分断されていることを表しています。一つの括弧に入っている文字が1人であり2人、或いは何人かのグループだったりするわけです。」Wの部分が「決定機関です。つまり、何を作るか、どういう業種をするかと言うことを決める決定機関。」「Zの部分が、私のような人間(デザイナー)あるいは技術者」「そしてXのプロトタイプを作る人々、職人もこのXに入ります。」「最後(Y)は、ただ言われたことに従うだけ、言われたことをするだけの仕事をする人です。」



 ■ ダネーゼ社のためのプロジェクト
「本当に手作り製品であるということを保証するために、その流し込みでは作れない陶器」を提案したもの。中央の写真はスパゲッティ状のものを並べてつくった皿で、「端っこが必ずしも全部そろっていなくても良かったわけです。ある程度不ぞろいの方が手仕事のよさというものを出していたから」というコンセプト。しかし、1年後にマーリ氏が工場を訪れた時、そこで目にした光景は氏を愕然とさせました。「作業している人たちを見ると、端のところが全部プロトタイプと同じようになるように、ゲージを使って厳密に寸法を測りながら作っていたわけです。」
結果的に大変よく売れたものの、ものを作る人たちの意識を「保っていくことが非常に難しいということ」がこのプロジェクトでわかったといいます。

 


 


 

 ■ ガッビアネッリ社:マヨルカタイル
「ただデコレーションしたくないと思い、そこで提案したのが、点々模様と、線模様と、水玉と、格子と、そしてストライプ、それぞれ10づつ提案しよう。それで人がその中から選べるようにしようじゃないか」と、手描きの絵付けを提案したプロジェクト。
ここで印象的だったのは、「本当のデザインを作っていきたいと情熱を持ったオーナーが亡くなってしまった、変わってしまったそのとたんにデザイン会社の質が落ちてしまう」という話。「デザインをするためにはデザイナーが2人必要です、その2人のうち重要なのはオーナー。つまり企業を持っていく人、指導する人。少なくとも、ある種の情熱と大きな希望をもった、そういったオーナーがいないと本当のデザインというものは生まれません。」



 ■ KPM窯
KPM窯のプロジェクトでは、「3年の間、1ヶ月につき1週間、KPM窯に滞在し、50人のマイスター(親方クラスの職人達)に、磁器とはなんであるか、最初から、初心から、ゼロから教え」ました。「私の最大の目標は彼らマイスターを独立心のある、自立した職人に育てることでした。ですから私の仕事のやり方は、彼らがOKをしない受け入れない絵皿は何一つOKしないし、彼らが充分自覚して納得していないものはどんなオペレーションも行わないということ、これをまず自分自身に言い聞かせました。」

 


 


 

 ■ 磁器の染付のワークショップ
「100年前、職人達の仕事というのはとてもシンプルでした。というのは、様式がすでに決まっていたからです。ロココやネオクラシック等、コピーする様式をきちんと学べばそれでよかったのです。ただ単に、昔のモデルを丁寧に同じ物を作ればよかった。今、沢山の偉大なアーティストがうまれていますが、彼らアーティストの作品を見ていて一体どのモデルを基準としているのか、全く基準となるモデルが分からない。だから私は若い職人達に言いました。もう昔のデザインをコピーする単なるオペレーター、作業員となるのを辞めましょう。もっと考えて、自分が考えて作りましょう。今までの流行のデザインに走ることなく、まずやらなきゃいけないことは、過去の偉大な作品、昔の本当に偉大な作品にまず戻りましょう、初心に返りましょうと訴えました。」
「また別の提案としては、一人の職人に一つのことに精通してもらうこと。タコの得意な人はタコのマイスターと呼ばれるくらいになってもらおう。鳥は彼女に頼めば間違いないというくらいの一流になろう。そうすると皆が偉大な職人、偉大なアーティストになることができる。そして、それぞれの工房が自分の得意分野をもっていれば、その地域全体がすばらしい地域として装飾のレベルが上がっていく、精神的にも上がってく、ということを提案したかったのです。」



冒頭で、デザイン界の、そして主にデザイン学校の“カラオケ化”について指摘されたマーリ氏。講演の合間には常に自己のデザインに対する想いを会場に投げかけます。その中でもインパクトが強かったのは、50年間デザイナーとして数々の作品を世に送り出してきたマーリ氏が「私は、デザインのなんたるかを、まだ全くわかっていない。」と、強く断言した事実とその熱い口調でした。
「私はデザイナーだけど、まだ、デザインとは何かということをわかっていない。
私は今も日々デザインし続けています。そして、私はデザインという仕事を誰からも習っていない、学校に行ったわけでもない、すべて私の仕事は現場からなのです。私はこの言葉を、直接怒りをもってデザイン学校でデザインを教えている先生方にぶつけたい、デザインを知っている顔をしている教授達にぶつけたい。
私は、本当の自分を知っていて、謙虚に信じている。
私は、デザインのなんたるかを、まだ全くわかっていない。」
「私たちは3つの文化でデザインものを判断します。まず、表現言語。これは芸術、文学、音楽、塑像すべてが使う表現言語です。2番目が科学、これを作るのにどのような技術が使われたかということです。3番目が人文の文化です。全世界の文化はこの3つに集約されています。芸術を含めた表現言語、そして技術を含めた科学、そして人文。この3つに集約されているのがすべての全世界の文化であるにも関わらず、デザインの学校、デザイン大学は数年間でデザイナーを養成する。世の中の文化をすべて知っているわけでもないのに、ものを作るということはこういった文化をすべて身に付けるということに他ならないのに、ろくに勉強もしないでほんの数年間でデザイナーを養成してしまう。だから、私はほんとにデザインとは一体なんなんだろうかと常に自問自答している。」

「これ(机の上の電気スタンド、つまり工業製品を指して)を私が表現言語、アート・芸術の面から見て、応用芸術の一品だなと思う。それはもちろん侮蔑的な意味で言っています。偉大な文化はここにあるのではない。日本の文化で私が最も感動したのは俳句です。遠い昔に、わずか17文字であらゆる詩情溢れる世界を表現した。こんな素晴らしい文化があった。17文字で雨の後の柳の様子、そして、私たちが日々感じる感情、メランコリー、世界のすべてのメランコリーを訴えていた。私は、今このおぞましいもの(つまり、電気スタンド)にメランコリーを感じる。」



「私は、なぜ自分がこの仕事をしているのか、その理由を問い直して欲しい、その理由を知って欲しい。買う人の問題じゃなくてまず、仕事をしている人に叫びたい。なぜ、自分がこの仕事をしているのか、問い直してください。
私はあらゆるサラリーマンを軽蔑しているように思われるかもしれませんが、全くそんなことはないのです。働かないと生きていけないし、皆が働いている。だから私は、皆が必要としているものをここで主張しています。誰もが好きだからしている仕事、満足だという仕事をして欲しいんです。そして毎日、どうしてこの仕事をしているのだろうかということを考えて欲しい。世界との調和を祈って、それこそが日々の労働ではないかと私は思っています。
(※声高に※)私が何でこんなに怒っているか、それは、イタリア、ドイツ、日本、とにかく非常に多くの企業の現状を見て、怒りがとまらないからなのです。彼らは物知り顔で言います。今は不景気だから、安いものだけしか買わないから、出来るだけ低価格のものを作らなければいけない。遊び心がある楽しいデザインをしなければいけない。ファッショナブルなそして、みんなが求めているモード的なものを作らなければいけない。そんなことを言われて一日仕事をして、夕方にどうして自殺したくならないのか不思議なくらいだ。そして自殺しないためには自分が、自分自身で作った安い商品を買ってストレスを発散させるしかないのではないか。」

あなたは自殺したくなりませんでしたか?「デザインの仕事」展の会場では、この講演会を編集したビデオがプロジェクターで上演されていました。氏の熱い声を聞いた後は、現在世の中に大量に生まれては消えるデザインが表面的なものであるかどうか、そういった物の見方が大きく変わるのではないでしょうか。



「デザインの仕事 ─ アウラの新たなる伝統への挑戦 ─」は、
2002年12月27日(金)までアクシスギャラリーにて開催中。
  会場:アクシスギャラリー 東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル4F
  会期:2002年12月12日(木)〜12月27日(金)
  取材日:2002年11月18日、12月13日
  アートディレクター:城谷耕生
  会場構成:エンツォ・マーリ
AXIS:http://www.axisinc.co.jp
株式会社アウラ:http://www.aura-inc.co.jp

アウラコレクション │  エンツォ・マーリと波佐見焼 染付職人によるワークショップ │  エンツォ・マーリ講演会
 b a c k



JDNとは広告掲載について求人広告掲載お問合せ個人情報保護基本方針ウェブサイト利用規定サイトマップ
デザインのお仕事コンテスト情報 登竜門展覧会情報

Copyright(c)1997 JDN
このwebサイトの全ての内容について、一切の転載・改変を禁じます。