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 ウェブスカイドア 現代篇
 


石川雷太
Ishikawa Raita


[ 略歴 ]
1965
  茨城県に生まれる
1989
  東京芸術専門学校 (TSA) 卒業
ノイズ・サウンド・パフォーマンス・ユニット [Erehwon] を主宰

[Erehwon]
 → http://www.lethe-voice.com/2002/1004_2_ishikawa.html

[ 主な個展 ]
1997
  「ディスコミュニケーション」 駒場芸術研究所・東京大学駒場寮 (東京)
「Fragment Project」 無限芸術研究所・上智大学教室(東京)
1998
  「DEADLY IDEOLOGY」 ギャラリィK推薦作家展『知性の触覚・それぞれの他者』 (東京)
2000
  「BLOOM / BLOOD」 川口現代美術館スタジオ (川口)
「Room 1,Room 2」 300日画廊 (東京)
「セゾンアートプログラム/アートイング東京2000:16×16」 ギャラリー青山 (現:Art Planning Room AOYAMA) (東京)
2002
  「GEWALT」 時限美術計画/T.L.A.P. (東京)
「Flashpoints◇世界紛争Tシャツプロジェクト」 カノーヴァン (名古屋)
2003
  「Flashpoints◇世界紛争Tシャツプロジェクト」 現代ハイツ/GHギャラリー (東京)

[ 主なグループ展 ]
1996-98
  「ドキュメント376」 野外美術展 (桐生)
2000
  「ことばの領分」Gallery ART SPACE(東京)
「IN THE HYPOCENTER/美術の爆心地へ」 300日画廊 (東京)
「言葉/言場/言派 展」 ギャラリー手 (東京)
2002
  「気体分子芸術シリーズ−気体電池の偽称展」 東京画廊 (東京)
「栞 しおり bookmark展」 藍画廊 (東京)
2004
  「六本木クロッシング:日本美術の新しい展望2004」 森美術館 (東京)
「Between ECO & EGO」 KAWAGUCHI ART FACTORY (川口)
「フュージョン:日本の建築とデザイン」 イスラエル美術館 (イスラエル・エルサレム)
「府中ビエンナーレ −来るべき未来に」 府中市美術館(東京)

[ その他の活動 ]
1997-98
  Erehwon 「crosstalk」 SPACE EDGE(東京)
「MMAC FESTIVAL IN TOKYO」 (東京)
1998-04
  Erehwon 「PERSPECTIVE EMOTION/透視的情動」 法政大学学生会館ホール (東京)
2001-02
  Erehwon 「Lethe.Voice Festival」 実験音楽の国際フェス参加、artport20号倉庫 (名古屋)
2003
  Erehwon 「Blank Map - パフォーマンス・アートをトレースする」 exhibit LIVE [laiv] (東京)
Erehwon「A/J (オーストリア/ジャパン) プロジェクト」 に参加、横浜赤レンガ倉庫 (横浜)
Erehwon 「MAKナイト」 MAKミュージアム (ウィーン)、Rhiz (ウィーン)
Erehwon 「BOF / Budapesti Oszi Fesztival」MU-Szinhaz (ブダペスト)
「丹野賢一/002-BARB」 (舞台美術を担当) 西荻窪WENZスタジオ (東京)
2004
  「丹野賢一+石川雷太/026-METAL」 栗東芸術文化会館さきら (滋賀)
2005
  「Erehwon+丹野賢一/027-ERAME」 府中市美術館 (東京)

GEWALT 2004
2004年

Erehwon+丹野賢一
/027-FRAME

2005年

Flashpoints (世界紛争Tシャツプロジェクト)
2004年

Fragment Project
1997年〜

― 絶対/芸術 ―
2000年

DEADLY IDEOLOGY
1998年

DISCOMMUNICATION (2)
1997年

DISCOMMUNICATION (3)
1997年
物質と情報の暴力的、かつ中立的な現前

石川雷太の作品は一見、強烈な政治的メッセージを含んでいるようにみえる。―― イラクで米英軍が使用した兵器のデータが書かれた鉄板によってファシズムの祭壇のような部屋を造る。世界中の紛争に関するデザインを施されたTシャツを展示し、同時にそれらの紛争のデータを公開する。日本赤軍や死刑囚永山則夫が書いたテクストを引用する。血にまみれた牛頭の骨で暴力的な雰囲気を喚起したり、ウサギを閉じ込めた箱を展示し、「制度」 について考えさせる、等々。―― だが考えてみるとそこには作者の政治的態度をはっきり示しているようなメッセージは何もない。それらは単なる情報の束として中立的にそこに展示されているだけなのだ。
このメッセージの中立性は、実は現代社会に生きる私たちには想像しにくいものとなっている。現在のメディアは中立な報道を謳いながら常にどちらかの政治的意見の側に傾き、情報の 「権威」 や 「真実」 は捏造されている。それゆえ、石川の作品は今日の情報呈示の在り方のなかにおいては、ひそかなパラドックスを演じていると考えることもできる。

これらの作品の中立性、ニュートラルさの性格は、たとえば、彼が行う、社会的・政治的メッセージを含ませていない営為を参照することによって、より明らかにされるのではないか。それはたとえばパフォーマーの丹野賢一のための舞台美術で、300枚の鉄板と鉄パイプを組み合わせたもの、あるいは石川が一貫して取り組んでいる重金属系のノイズによるサウンド・パフォーマンスなど、物質やその感覚の暴力的な現前を目論んだ営為である。それらは、私たちの感性と思考に何がどのように受容されるのかをひたすら測らせようとする試みなのだ。石川によれば、作品も、「アート」 も、「石川雷太」 という個人も、一個のメディアとして、ニュートラルな情報の束として考えられ、受容されねばならないのである。
彼の作品が私たちに要請してくるのは、だから、ひとつには情報のこうした 「受容」 の態度であり、もうひとつは、私たちが服従し、魅惑され、あるいはしばしば抵抗にあうところの「制度」 ―― 思考の制度も、社会の制度もアートの制度もすべてひっくるめて ―― なるものは私たちの感性そのもののなかで形作られる、というそのことの自覚に他ならない。現代においては芸術はすべて政治的なものとなる、とベンヤミンがいうとき、石川の作品と営為は、その 「現代」 において芸術が社会的な存在であるとはそもそもどういうことなのか、を、真に示唆しているもののように思えてならない。多くのアートが自らの 「社会性」 について著しい誤解を持ってしまっているような昨今において、石川の作品は、その透徹した思考においてそこから鋭く屹立しているのではないだろうか。
〜 倉林 靖/美術評論家


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