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桐山登士樹が選ぶ 注目デザイン&デザイナー

日本全国からさまざまな分野のデザイナーを紹介する「デザイン&デザイナー」。
旬なデザイナーと代表作品を、デザインキュレーター・桐山登士樹がセレクションしてお伝えしていきます。

 → 桐山登士樹 P R O F I L E 


 このページは、第61回から第80回までの20人のインデックスです。
第1回〜第20回
第21回〜第40回
第41回〜第60回
第61回〜第80回
第81回〜第100回
最新の紹介

第80回
森 美香子  Mikako Mori
森 美香子 森美香子さんは、住宅のインテリアデザインを専門に手掛けているデザイナーである。言うならば住まい手のわがままを聞いていただける女神である。さらに驚かされるのは、『暮らしにあったインテリアを自分で創る』を信条に、インテリアとDIYの提案活動を行っていることだ。森さん自身のホームページには、その様子がアーカイブ化されており、丁寧な対応が読み取れる。
大昔の話になって恐縮だが、今から25年程前銀座の6丁目のコマツストアーの5階(?)にヤマハの家具ショールームがあった。当時私は銀座に勤務していたので時間を見つけては何度も通い、システム収納の考え方やキッチン、さらには木材について学んだ。身近な教材だった。森さんもヤマハの家具事業部からデザイナー活動を開始している。たぶん今の行き方のベースはその時に培われたのだと想像する。


第79回
森 ひかる  Hikaru Mori
森 ひかる 芸大大学院生から今日まで17年以上もの歳月のなかでその成長を確認してきたデザイナーである。いまや建築家と言ったほうが正しい。森ひかるさんには、イタリアの女性建築家の第一人者ガエ・アゥレンティを超えた建築家になることを目標にするよう助言してきた。正義心が強く、不条理なことを許さず、建築現場やデザイン現場でイタリア男と真正面から戦い、今日の地位を築いてきた。歴史的建造物に学び、現代の新しい建築にも関心を示し自らのスキルアップの教材としてきた。パートナーのマゥリッツィオ・ジートの存在や助言も森さんの活動を助長している。昨年竣工したアヴェッリーノのワイナリーの建築が評価され、「ニューヨークタイムズ」「ドムス」など権威ある各紙で紹介され、イタリア産業界からオファーが続いている。私のベストフレンドとして、次のプロジェクトでも新たな世界を見せて欲しい。同時に共にグルメを自認しているが、レストランでの注文はできるだけ早く決めて欲しいことをリクエストしておきたい。


第6回
澄川伸一  Shinichi Sumikawa
澄川伸一 第6回目の連載で澄川伸一さんを紹介した。それから7年、本人のリクエストもあって更新することにした。澄川デザインに関して、特別注文をつけるところはなにもない。ひところの生真面目さが取れて、デザインに優しさが加わった。有機的なフォルムが心地よい使いやすさと造形的な美しさを内包している。デザイナーとして成長期から円熟期に入り始めた証であろう。
2003年に六本木AXISで個展「精緻の一滴展」が開催された。この時の会場構成もなかなかであった。主な出展物に、富山の企業やデザインセンターのコンペ受賞作品が含まれていたのが嬉しかった。オープニング日、たまたま会場に居合わせた長大作さんが、しきりと澄川さんに家具デザインを行うことを勧めていたことを記憶している。そうした助言を受けてデザインしたのが「MELTING SEAT 硬いのに軟らかい低座椅子」である。三次元データーで一体切削された座椅子との解説がいかにもIDデザイナーらしい。本来職人の世界を量産可能な世界へ導いている。デザイン的には木目の積層感が美しい。澄川さんには、とんとん素材にこだわって欲しい。古来のマテリアルでもよし、新たなカーボンやジェルなど新素材でもよし、世界を旅することが趣味のようにデザインの冒険家であることを期待したい。


第78回
桐本隆士  Takashi Kirimoto
桐本隆士 ミラノサローネのサテリテで桐本隆士さんと再会した。スタッフと大学の同期だったので以前から知ってはいたが、2001年のミラノサローネの期間に活動拠点をローマに移す話を聞いたのが最後だった。4年ぶりの桐本さんは、すっかりプロの顔になりつつあった。しばらくして、旭川の国際家具コンペで日本人初のコールドリーフ賞を受賞したと喜びのメールをいただいた。受賞のため一時帰国、6月20日に事務所に遊びに来てくれた。詳細はデザイン解説に記されているので省略するが、聞くところによると支柱に当たる部分は特殊な加工のため製作してくれるところがロンバルディア周辺にはなく、自ら手作りして旭川まで持ち込んだと言う。マルペンサ空港へは、自らトラックを運転して運び込み、成田空港からは手がちぎれるほど重い作品を抱え、数十メートル歩いては休むことを繰り返し、やっとの思いで旭川駅にたどり着いたという。このコンペに自らの限界を超えて立ち向かう姿勢に正直感動した。単純な比較は必要ないが、桐本さんはこれはチャンスだと思い、自らを駆り立てたのだという。生活の保証の無い海外で名を上げるには、よほどの覚悟と目的が必要である。そして、過去の分析と自らのスキルアップ等々、強靭な精神と体力が必要なことを改めて認識した次第だ。おめでとう。


第77回
酒井俊彦  Toshihiko Sakai
酒井俊彦 酒井さんは大学卒業後、佐藤康三さんの事務所で働いていた時期がある。当時は代官山のオフィスだったと記憶するが、そんなわけで昔から酒井さんのことは知っていた。先月AERAのデザイン特集に人選やデザイン評に協力した。もちろん酒井さんも推薦した一人であった。このことから感謝メールをいただいた。その返信として、酒井さんのデザインや活動について知りたいとお願いしたところ受け取った資料を見てビックリ。近年、これだけブレのないデザイナーはそう多くない。私的な感性とマッチングしていることもあって、感心してしまった。ポートフォリオに記せられたさまざまな実績や展覧会、受賞暦、今後さらにどんな実績が加わっていくのか興味は尽きない。このコーナーが契機となって仕事のオファーがくることが多いと以前の紹介者からメールをいただくことが多いが、酒井さんにはこれまで手がけたことのないジャンルの仕事が舞い込むことを期待したい、お願いしたい。


第76回
小幡 久  Hisashi Obata
小幡 久 前回に続いて、若いデザイナー紹介である。30前後のデザイナーには、共通する活気がある。同時に大なり小なりのヴィジョン(夢)がある。熱心に連絡をいただくデザイナーには出来る限りお会いし、自分の経験値で感じていることをお話している。今回紹介する小幡君も昨年暮れイタリアから帰国し連絡をいただいた。9年前に富山のコンペでお会いしたが最初であった。PCを介して見せていただいたプロジェクトの数々は、この年月の成長を物語っていた。話を聞くと単身でミラノに渡り、現地のデザイン事務所に入り、フィアット社を初めさまざまな経験し帰国したという。勤務していた事務所から留意されたが、さらに大きなプロジェクトに参加したく日本に戻る決意をしたこと。またフリーランスではなく、チームで取り掛かれるようなプロジェクトをやりたいと今後の抱負を語った。この言葉、姿勢が新鮮で相談に乗ることにした。現在は表参道にあるデザイン会社に入り、すでに国内外を飛び回っている。まだ未完ではあるがチームコラボレーションによって、フリーではでき得ない実績と経験を重ねてくれると信じている。
10年以上もコンペ運営をしていると、お会いしたデザイナーだけでも数百人、応募デザイナーでは数千人を超える。このような人材との接点は、私にとって貴重な財産であり、あらたな機会の創出やデザインのポテンシャルアップにむけて加速度を上げたい。


第75回
大友 学  Gaku Otomo
大友 学 ここで紹介するデザイナーは50歳以下、これから表舞台に出るであろうと思うデザイナーに焦点を当ててきた。この6年間の連載で、日本のデザイン界の一翼を担うデザイナー達の顔ぶれが見えてきた。まだまだ紹介しきれていないが、新たな仕掛けを企てたいと考えている。さて、今回紹介する大友学さんは、これからのデザイナーである。声をかけたら「まだ早くないですか?」と、なんとも謙虚な答えが返ってきた。しかし、大友くんのデザインは、ここ数年見てきた。深く話すことは無かったが、私が企画するイベント等に顔を出してくれる一人である。最近、富山のコンペの入賞作ガムフック(写真参照)がアッシュ・コンセプトから商品化された。おめでとう。不思議に程よく力の抜けたデザインで受ける側を楽な気分にさせてくれる。
今回紹介する7つのデザインの共通項はご覧いただき感じていただけると思うが、まだまだ未開拓の分野を含めこれからやることは多い。例えば、張り詰めたデザインを求めたらどんな料理をしてくれるであろうか。必要以上に自分をアピール必要は無いが、存在や可能性をアピールすることは大切である。頑張って欲しい。そんなアノニマスなベールを剥ぎ取ることが私の役目と化してきた。


第74回
柴田文江  Fumie Shibata
柴田文江 富山でデザインコンペを始めて11年が経つ。このコンペからたくさんのデザイナーが育っていった。今回ご紹介する柴田文江さんもその一人である。当時は、東芝のデザイン部を退社した直後で夢見るデザイナーであった。そのさわやかな印象が記憶に残っている。そして柴田さんは青山にスタジオを構え、大手企業としっかりとした仕事をしている。今はGマークを審査する側に回っている。本当に水を得た魚のようなのびやかな勢いを感じる。今回紹介するデザインは、どれもチャーミングで可愛く、しかしそれだけでない凛々しさも併せ持つ。この紙一重の関係に多くのデザイナーは苦慮するが、柴田さんはすんなりとまとめている。なかでも象印の炊飯器、コーヒーメーカーのZUTTO シリーズは、なかなかの傑作デザイン。こういう人には、もっともっと仕事をさせたほうが良い。また、日本だけでなく欧州のメーカーとも一緒に開発するチャンスやさらなる領域の拡大を目指して欲しい。


第73回
森崎清光  Kiyomitsu Morizaki
森崎清光 森崎清光さんのご紹介で、以前勤務されていたミノルタのお仕事をさせていただいたことがある。企業との仕事は機密事項が多いが既に時効。古い話である。拠点が同じ横浜ということもあり、いつでも会えるような気になっていたが、お会いする機会はほとんどなかった。昨年、私が関わっている横浜市経済局と市内製造業によるスキームプロジェクト(hamawaza)にメインデザイナーとして参画を依頼した。快く受けていただいたが、現在生みの苦しみの最中にいる。こうした機会に直面すると人柄が現れる。森崎さんは誠実で前向き、メリハリが利いているので仕事がやりやすい。おかげでデザインチームは、明るくまとまっている。今回、進行中以外のデザインを始めて目にしたが実にスタンスの広い方だと感じた。デザイナーとしての好奇心も旺盛。地域に根ざしたプロジェクトにも積極的なようで心強い。キャッチボールは始まったばかりではあるが、こうした機会が有効に重ねられ、多くの機会が創出できれば幸いである。


第72回
ワダデザイン (和田 功)  wadadesign (Isao Wada)
wadadesign (和田 功) 2005年最初に登板していただくデザイナーは、サッカーおじさん(?)の和田功さんである。サッカーの盛んな磐田に近い浜松を拠点に活動する。お会いしたのは10年以上前、ソニー退社後だったと記憶する。パイオニア、ソニーが右肩上がりのエネルギッシュな時代にデザイン室に籍を置き、その後独立。企業のアドバンスデザインから医療機器、さらにはプロダクトまで、魔法の様な解読システムでカタチを生み出す才覚に長けている。
昔、大手企業には、こうした安定した力を発揮するデザイナーが何人もいたが、最近は少なくなった気がする。デザインがさらに複合化(インターフェイス)したことと、その開発システムが複雑化したためと思われる。しかし、和田さんの様な方には、コーポレートデザインがいまひとつ作れていない企業の中心に入って、その経験値を生かしていただきたい。特に最近のCDラジカセのゴミの様なひどいデザインを手直しして欲しい。変えて欲しい。年齢はミドルになったが、ここ一番のシュートの切れは誰にも負けない。ゴン中山が現役で健在なのと同様に、円熟したデザイナーの一人である。


第71回
nendo (佐藤 大)  nendo (Oki Sato)
nendo (佐藤 大) 自分の人生を振り返ると20代後半が一番尖っていたような気がする。自分の可能性を信じ確実な手ごたえを掴むために邁進していた時期だった、そんな記憶が残る。
nendoを知ったのは2003年のミラノサローネサテリテである。そしてnendoは、初参加にして特別賞を受賞する。その後、時々名前を耳にするようになった。リーダー佐藤大は、日本というフィールドを飛び越えた国際人である。昔の人が新天地に夢を託した時代とは大きく異なり、生まれながらにして世界というフィールドが自分のステージであった。また今年は評価を世界に求めた意欲的な年でもあった。紹介する数々のプロジェクトを見る限り、若いというキーワードはない。年齢を超えたnendoスタイルを積層させている、例えればリニアカーの様な存在である。こうしたデザインニングの次にどんな世界を切り開こうとしているのか、切り開いてくれるのか、今から楽しみである。何より時間がたっぷり用意されているだけに。


第70回
BarberOsgerby  Edward Barber(左)、Jay Osgerby(右)
shimoo design ミラノで活躍するジェームス・アーヴィンから「バーバーオズガービーが日本に行くので会ってほしい」とメールが届いた。同様の内容がミラノで活躍するビジネスパートナーの森ひかるさんからも届いた。時同じくして、ジャーナリストの中島恭子さんからも「日本に行くので桐山さんに会いたいと彼らが言っている」とロンドンから連絡をいただいた。凄い!二人のことは、イタリアのカッペリーニでのデザインを見て知っていたがお会いするのは始めてだった。
10月初旬、滞在中の渋谷のホテルカフェでお会いした。エドワードとジェイの二人組みは、とてもナイスなデザイナーだった。彼らのデザインプログラムの巧みさに久しぶりに熱くなる自分を覚えた。着眼、解読、構築、デザインの流れが明確である。デザインがデザインとして存在する意味がある。才能と可能性を秘めたクリエーターとの出会いは、本当に楽しいひと時であった。
そして、ガツガツしていない身のこなし方、真摯な態度にも好感を持った。さらに彼らは、いま直ぐ仕事が欲しいのではなく、私たちのデザインをメディアの人とか、然るべき見識者に見て欲しいとリクエストされた。しばらく彼らのデザイン活動を注意深く見て行きたい。


第69回
Nunzia Paola Carallo  ヌンツィア・パオラ・カラッロ
Nunzia Paola Carallo ヌンツィア・パオラ・カラッロさんに商品デザインを依頼している。商品モデルが完成するのは、早くても今年末か来年早々。今回お見せできないのが残念だが、凛々しさと静寂さの中に機能がコンプレックスされているインテリアグッズである。初回のデザイン提案で寸分の狂いもないセンスに驚かされた。親日家のパオラさんは、日本のことを良く知っている。また、よく研究している。今回は紙幅の関係で紹介できなかったエディター活動やコラボレーションやワークショップ活動など、実にフィールドが広い。現在、別途進めているテーブルデザインは、アルミキャストのフレームと天板によるやさしい構成。東京デザイナーズブロックのデザインウエーブ会場に展示(ガイドブック ID1934)しているので是非ご覧いただきたい。


第68回
Gabriele Pezzini  ガブリエル・ペッジィーニ
Gabriele Pezzini 先月、お知らせした通り「注目デザイン&デザイナー」初の海外デザイナーである。日常的にインダストリアルデザインの機会に恵まれている日本人デザイナーは幸せである。しかし、立ち止まって考え創造性を深めているのか、多忙故、走りながらデザインしているのか、デザイナーの姿勢や環境の差は大きい。ある大手メーカーのデザイン開発を担当した時に強く感じた点である。的確な言葉が見つからないが、言葉にすると「深層の差」である。その形でなくてはならない必然性が明確かどうかという点である。
菰田和世さんの紹介でお会いしたガブリエル・ペッジィーニさんは、実に気持ちの良いデザイナーであった。最近は日本を初めアジア諸国からデザインのオファーがあるという。しかし、依頼されたらすべて受けるのではなく、向かうべきベクトルに互いに共通性があるのかコミュニケーションを大切にする。また、次代のデザインに対するリサーチにも余念がない。帰国されてから電話を二度もいただいた。あいにく私は不在だったが、メールの時代に丁寧な行動が自然体でできる人柄に好感が持てた。デザイナーは人格者であり研究者であれ、そんな模範デザイナーである。


第28回
秋田道夫  Michio  Akita
秋田道夫 秋田道夫さんからの申し出で最近のデザインに変更した。私が知る限りこの2〜3年は、秋田さんにとって変化の年であった。家電に新風を吹き入れたデバイススタイルの一連のデザインは、トリオでオーディオデザインを担当していた初期のデザインに共通する。魅せる要素や使用する生活者とモノとの関係、マニアックな要素を織り込んでデザインしている。丁寧な仕事である。一方、改札機や信号など公共のデザインは、いかに認識しやすく信頼をおくことができ、環境に溶け込んでいるかが勝負である。この二つの領域を完成度の高いデザインにまとめ上げた技術を素直に評価したい。しかし、デザイナーも様々なバイオリズムと共生している。自分のデザインに苦しんでいた頃の秋田さんも知っているだけに、次なる目標設定が大切である。自らも記しているように「単純で洗練されているが豊かさを感じる」デザインをより高度に具現化していただきたい。水面下で進んでいる海外ブランドでのデザイン展開にも大いに期待したい。


第67回
ナガオカケンメイ Kenmei  Nagaoka
ナガオカケンメイ ナガオカケンメイさんは次世代デザイナーの目標であり、淀んでいたデザイン界に一石を投じた獅子である。特に2000年には、世田谷区奥沢に「D&DEPARTMENT PROJECT」を開業し、それまで商品価値を失い倉庫に眠っていた過去の良品を探し出し、ふたたび生命力を与え蘇らせた。その代表例がカリモクの応接セットである。このデザイナーの領域を超えた活動は、安価なものを大量に製造販売する時代に警鐘を鳴らした。新しいデザイン創造に追われるデザイナーや経営者にとって、ナガオカ氏の行動は、正反対の軸からのアプローチであった。また、こうしたアプローチを欲している生活者が多くいることを自身がよく知っていた。
先日久しぶりに、私のオフィスにシュークリームを持参して現れた。Dデパのカフェでも人気のシュークリームである。互いに多忙極まる身ゆえ、これまで立ち話が多かったが、最初にお会いした17年ぶりにゆっくり話しをした。例えるならば、登山家の宿命として踏破する山がある限り登り続けなくてはならない。それが選ばれた人間の生き様でもあり自身の夢でもある。人生の折り返し点である40歳を目の前にしたナガオカ氏は、さらに高く険しい山を踏破してくれると私は信じている。


第66回
ヒジュン カスヤ Hijung  Kasuya
ヒジュン カスヤ 粕谷さんには昔の話の書き出しで失礼かとは思うが、最初にお会いしたのは20年ほど前のことである。正確に記憶しているのは、インターナショナルイヤーブックに掲載されたことを喜んでいた85年のステーショナリーデザイン(コンテンポラリーマーケット)である。その後、展覧会のパーティなどで時たま挨拶をする程度であったが、年初ポートフォリオが送られてきた。当然のことだが記憶にあるイメージが崩れ、クリエィティブな作業の成果を確認できた。また、デザインフィールドが広いのにも驚かされた。デザイン界も徐々にボーダレス化が進んではいるが、まだ粕谷さんは珍しい人種に属する。フィールドが広いゆえ様々な葛藤があったと推測する。自由人として、さまざまなデザインの可能性を楽しく実践して欲しい。


第65回
shimoo design  下尾 和彦 Kazuhiko Shimoo(左)、下尾 さおり Saori Shimoo(右)
shimoo design ミラノサローネに久しぶりに一人で出かけたと以前に記したが、正確に記すると現地で合流したクラフトデザイナーがいた。1年がかりでミラノに行く必要性を語り、無理やり連れ出した。その為、ホテルも同宿で飛行機も手配した(支払いは別だが)。そのデザインユニットが今号紹介する「shimoo design」である。この下尾夫妻は、共にクラフトデザイナーである。若くして様々な賞を獲得し、目標とする座標を難なく達成してしまった。そこで私は、あつかましくも彼らにこれからの5年間で世界のデザイン界へ仲間入りする計画を提言した。その為の下見が今回の目的であった。ミラノからの帰路、彼らは自分達の作品を購入してくれたスイス住むコレクター邸で数日を過ごした。そこでもまた、少し世界が近くなったようだ。
若き潜在力のあるデザイナーには、日本は狭すぎると考える。慣習が支配し、的確な評価もなく、そして自らの自信も持てない国を何とかしなくてはならない。


第9回
黒田昌吾  Shogo Kuroda
黒田昌吾 先日、雑誌「Pen」の依頼で空間のコーディネートを行った。私の好きなように空間構成して良いとの条件だったので快く引き受けた。詳しくは、紙面を見て欲しいが、その中の備品として選んだものが二つある。その一つが各務鑛三(かがみこうぞう)氏が創設したカガミクリスタルの江戸切子である。もう一つが黒田昌吾氏の漆器である。黒田さんは、5年前の9回に紹介したが、その後着実に階段を駆け上がっているクラフトデザイナーである。応募する側から招待を受ける側に代わりつつとあることが何よりの評価である。また、異素材への取り組みや様々なワークショップにも参加され、そこでの考えが漆器そのものに良い影響を与えている。まだまだ若い黒田さんには、いろいろな回り道が許される。時間がある。味わいのデザインをさらに探求して欲しい。


第64回
菅野 傑 Suguru Kanno
菅野 傑 95年の富山のデザインコンペで菅野さんとお会いした。最終審査会で菅野さんの応募作のテープカッターにデザイン大賞を与えるか否かで大激論になったことを今でも鮮明に覚えている。デザインそのものの存在感や美しさを評価する意見とコンシューマーの新たなスタイルを尊重したデザインにこそ、新境地があるとする意見とに割れた。賞の結果はどちらでも良かった。デザインを取り巻く環境やその評価が変わりつつあることを実感できたのが最大の収穫であった。そういう意味で見事なデザインを提出したくれた菅野さんに感謝したい。テープカッター以降も菅野さんはアルミにこだわり様々なデザインを具現化されていることを確認した。アルミは無限の可能性がある。表面処理も容易になり、その汎用性は広い。菅野さんにはアルミの料理人としてますます磨きをかけて欲しいと思っている。


第63回
渡辺 誠 Makoto Sei  Watanabe
渡辺 誠 この原稿を書くにあたり久しぶりに大江戸線飯田橋駅に行ってみた。有楽町線から乗り換え、さまざまな色が氾濫するコンコースを抜けて、大江戸線エリアに入ると、先ほどのハレーションエリアとは一線を画す知的なエリアが迎えてくれた。開業から丸3年が経過するが目だったダメージもなく、落ち着いた雰囲気が漂っていた。久しぶりに知的な東京を感じた。どうして建築家が携わったものと、そうでないものとに、こんな差がでるのだろうか。このプロジェクトを実現するために7年間土木と戦ったと、渡辺さんが話してくれた事を思い出した。話は変わるが2001年の春、元ソニー役員の黒木靖夫さんと一緒にノーマン・フォスターが手がけたロンドンとビルバオの地下鉄駅を見に行った事がある。その時、日本のパブリックな建築はもっと都市の可能性と知的水準を表すべきだと強く感じた。渡辺さんからご案内をいただいた九州新幹線新水俣駅は、残念ながらまだ行く機会を失っている。夏までには訪れ、このチャレンジブルな建築家の仕事を確認したいと思っている。


第62回
田中 行 Yuki Tanaka
田中 行 昨年、3月にお会いしたときに8月のデザインワークショップにお誘いしたところ、快く受け入れていただいた。そのワークショップから生まれた作品が「ぴー」「ぽー」である。この自然でちょっとユーモラスなデザインは田中さんそのものである。似ている。他のデザインを見ても自然体でバランス感覚と色彩感覚が良い。この人はどんな仕事でも楽しそうにどんどんこなしていく人だとお見受けした。私の推測が当たっているならば、難易度の高い仕事を是非与えていただきたい。できれば、家電なんかをインハウスのデザイナーとコラボレーションして完成させるプロジェクトが面白い。何事にも力まない、自然体でトライアルしている人の方が線が伸びやかで綺麗である。

第61回
早川貴章 Takanori Hyakawa
早川貴章 先月、お台場のビッグサイトで開催された「東京テーブルウェアトレードショウ2004」で、早川貴章さんの新作「Solar Plant」が出品されていたのを偶然発見した。早川さんもポリサイトの活動を通じて、よくお目に関わるデザイナーの一人だ。今回送られてきた資料を眺め詩的なデザインをする人だと感じた。以前に所属していたINAXのパスタブ「Sleep Bath」は、一日の終わりにゆっくり浸かりたいと感じさせるデザインである。その他ほかのデザインにも軽やかな情緒性が感じられる。
当たり前のことだが一つ一つのコンセプト(デザイナーの意志や考え)が無理なく処理されているところが心地よい。力むことなく自然体で人をリラックスさせてくれるデザインがもっとも必要なことだと考える。早川さんのこれからの課題は、自分のデザインを製品化に持っていく強いアピールとチャンスが増幅することである。

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