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桐山登士樹が選ぶ 注目デザイン&デザイナー

日本全国からさまざまな分野のデザイナーを紹介する「デザイン&デザイナー」。
旬なデザイナーと代表作品を、デザインキュレーター・桐山登士樹がセレクションしてお伝えしていきます。

 → 桐山登士樹 P R O F I L E 


 このページは、第1回から第20回までの20人のインデックスです。
第1回〜第20回
第21回〜第40回
第41回〜第60回
第61回〜第80回
第81回〜第100回
最新の紹介
 

  第20回
AZUMI  AZUMI
AZUMI この半年間で5回ロンドンに立ち寄った私は、ミレニアムドームや観覧車、テートモダンとテムズ川に建設されたウォークブリッジ(ノーマン・フォスターデザイン)などを見学し、21世紀に向けたインフラが着々と進行するロンドンに血が騒わいでいる。
このロンドンで着実にデザイン活動を実践しているグループがAZUMI(安積伸・朋子夫妻)である。2度スタジオに立ち寄らせていただいて確認したことは、デザインの最終アウトプット前のモデル検討の質量と、そのデザインを解説するコンセプトデザインブックの丹念さに驚いた。あたりまえのこととはいえ、こんなに丁寧にデザインをしているスタジオを最近拝見していなかったので正直関心した。5月上旬に渡航した際には、クラフツカウンシルで開催された「Misty Lounge」の展示を案内していただいた。この展覧会で、AZUMIは真っ白い箱に光の陰影を施した繊細でいて、清潔感があるミクロマクロの宇宙を表現した。その一つ一つの処理は、これまでのデザインの延長上にありAZUMIの確かさを感じされるには充分であった。できればこの展覧会、近日日本で再現したいと本気で考えている。

  第19回
浅野泰弘  Yasuhiro Asano
ASANO 浅野さんとの出会いは、1997年11月に行われた富山のプロダクトデザインコンペティションの審査会の席上である。見事大賞に輝いたバスシェルターをデザインした浅野さんではあるが、話はぼくとつとしていて喜んでいるのかよくわからない不思議な人だった。
その後、何度かお会いしてるうちにデザインの社会性、可能性を熱く思い、より強く実践していく道を模索している事に気がついた。プロフィールにもその一端が現れている。たぶんとても器用な人なのだろう。イタリア社会ならまだしも狭いデザイン領域を設定したがる日本では窮屈な思いの連続であったことだろうと推測する。しかし、時幸いにしてボーダレス化現象が顕在化している。これからのデザイン界は、浅野さんにプラス要因となることは間違いない。後は、節目のデザインをどう創出するかだ。

  第18回
三浦英夫  Hideo Miura
三浦英夫 私が今でも愛用しているヘッドフォンは、三浦英夫さんが20年前にマリオ・ベリーニ事務所時代に担当したデザインであることを後日知った。1980年前後のマリオ・ベリーニは「IDの神様」と言っても良いくらい矢継ぎ早に新鮮なデザインを世に送り出していた時期である。その当時、渡伊した人は今ほど多くなく、三浦氏が多くの刺激を受けながらイタリアでのバール生活に溶け込んでいる姿が想像できる。
これまで何度かビジネスとプライベートでご一緒させていただき、私の中で三浦英夫像は確実に出来上がっている。人好き、ビール好き、家族想い、デザイン職人…、根っからモノづくりが好きな人である。そして、とても出来る人である。しかし、現在の三浦さんには先行デザインの依頼が多く、最終製品までデザインを手がける機会は少ない。私としては、人柄がカタチになったデザインがもっと欲しい。アイデア豊富で、具現化する力をもった三浦さんをもっと担ぎ出したいと考えているのだが、イタリア式デザインを体感している三浦さんには余計なことかも知れない。

  第17回
伊藤 節  Setsu Ito
伊藤節氏 伊藤節さんを知ったのは、98年の正月の事である。クリスマス休暇でミラノから帰省していた節さんから電話をいただいた。初めてお会いした品川のとある場所で、持参されたポートフォリオを見せていただいた。最初の印象は、アーティストのような造形力と繊細さを兼ね備えたデザイナー、高いスキルをお持ちだがマスプロダクションを前提とする大量生産品より、ロットがある程度限られたプロダクツの方が合うのではないかと感じた。今回、改めて節さんのデザインを目にし、今回ご紹介する6アイテムすべてに節さんの特色が表れてきており、着実にミラノデザイン界に根を下ろしていることを嬉しく思った。デザインが採用されるまでのプロセスが厳しく、辛いミラノのデザイン界で、着実にデザインを実践している節さんに今後も期待したい。

  第16回
宮城 壮太郎  Sotaro Miyagi
宮城壮太郎氏 宮城壮太郎さんとお会いしたのは、7〜8年前である。その出会いは、都心の再開発プロジェクトの建築計画であった。その後、半年間ご一緒して宮城さんの大らかな性格に随分助けられた。ご覧のように宮城さんもフィールドの広いデザイナーである。
様々なプロジェクトのコンセプトメイキングからプロダクトデザインまで、なかでもすっかりお馴染みになった「ASKUL」のCIデザインから「Bioライト」、古くは宮城さんが以前在籍していた浜野商品研究所時代に担当した「HD-1フジカ」のデザインなど実績は数多い。
近年、軽井沢にサテライトオフィスを開設して、きれいな空気を吸って創造力を高めているらしい。せわしいデザイン界で、とても貴重な人材だ。

宮城壮太郎さんは、2011年3月24日にお亡くなりになりました。宮城さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。

  第15回
芝 桃子  Momoko Shiba
芝桃子氏 芝さんは、とても印象に残るデザイナーである。毎年富山で開催しているプロダクトデザインコンペティションに応募されてこられたケトル(96年度募集課題)は、実に細部に至るまで精巧に吟味された完成度の高いデザインであった。そして、なにより美しい。こんなケトルを使いたい。と正直に思った。しかし、優秀賞に輝いたこのデザインも価格設定や製造メーカーの体力等々の要因でついに日の目を見ることはなかった。その後も、芝さんは芝さんらしいデザインを応募してきてくれるのはうれしい限りだ。
現在は、足立区で仲間と一緒にデザインによる街づくりを積極的に推進している。「なかなかお金にならないんですが…」と、電話の向こうで応える芝さんはあわててはいない。この仕事は根気がいることを知っているからだ。私が芝さんを通じて感じることは、芝さんのような立派なデザイナーがこの国には多く存在していることだ。デザイナーをもっと活かすシステムや環境が整備されれば、この国の将来は明るい。


  第14回
矢野 宏史  Hiroshi Yano
矢野宏史氏 矢野宏史さんを知ったのは15年前になる。当時、渋谷の公園通りにあったオフィスを訪ねると、'77東京国際照明デザインコンペ金賞受賞作「光の 化石」が置かれていたことをいまでも鮮明に記憶している。当時から今日 まで、矢野さんのデザインには、触覚、視覚そしてフォルムへのこだわりが感じられる。当たり前の基本要素であるが、決して優しすぎず、冷たすぎない微妙な匙加減を確立した一人である。一瞬オブジェの様なフォルムのスリットから籠もれる光のオマージュ。素材の質感をギリギリまで引き出すスキル。矢野さんのデザインからは「変化するものと」と「普遍的な もの」とを許容しながら一つ一つ丹念に熟成させている矢野さんの笑みを感じる。


  第13回
清水 文夫  Fumio Shimizu
清水文夫氏 筆者と清水文夫氏とは不思議な縁だ。数年前までは、日本でお会いするのは皆無でミラノ・サンバビラ広場や機中で偶然一緒になる人であった。写真からお分かりのような風貌で、議論しても酔っぱらっていても実に懐の深い楽しい人である。
その清水文夫氏は、イタリア的なモノづくりの環境を構築するために日本の流通を動かし、変えることに力を入れてきた。同時にマスメディアの宣伝力、広報力を活用してエンドユーザーのデザインに対する意識の醸成を実践している建築家である。いわゆる自ら手がけるインテリアデザインやプロダクツデザインだけの世界ではなく、それを売る場であったり、それを知らせるメディアを含めてデザインの領域として捉えている複眼の眼を持つ人だ。こうしたインフラが整備されると自ら手がけるデザインがまっとうな仕組みで、まっうに評価される様になる。その日の為に、環境を作っている一人だと言えよう。
しかし、清水さんと話していると何時になったら大人の環境が築き上げられるのか、まだまだ息の長い戦いが続く。


  第12回
安次富 隆  Takashi Ashitomi
安次富 隆氏 世界の若手デザイナーに交じって、安次富隆氏はミラノサローネの企画ブースで自作を発表した。
頻繁に訪れる外来者(マスコミ、バイヤー、デザイナー)の応対に安次富氏は、デザインする以上の労力を費やした。たぶん初めて味わう心労が波のように容赦なく安次富氏を襲ったことだろう。世界の若手デザイナーはチャンスの訪れを待ち、そのためにスキルを磨く。考えること、描くこと、制作することそのすべてがチャンスのためにある。そして一度のチャンスにエネルギーを集中し、アピールする事を忘れない。こうした努力の末、毎年数人のデザイナーが頭角を現す。
これまで安次富氏は順調なデザイン活動を展開していた。ソニーを退社後もデザインに力を入れている企業の仕事を数多く手がけている。その安次富氏が近年手がけているデザインが、竹やガラスといった職人さんとのコラボレーションによる作品である。力量がハイテクからローテクまで偏ることなく行使される活動を安次富氏には望みたい。日本の特殊なデザイン環境で日本人だけで群れる環境を早く打破しないと、21世紀のデザイン展望など見えてこない。そうした意味からも安次富氏には、大きく羽ばたいて欲しい。


  第11回
畠山 耕治  Koji Hatakeyama
畠山耕治氏 リビングデザインギャラリーに展示された様々な時計は、静かに時を刻んでいた。『Time&Material』と名付けられた展覧会で、畠山耕治氏は、「素材には‘意識’が宿っている。何かをつくりだすとき、いつもそう思ってしまう。意識のもっと深くに潜む‘気配’は、自分が何者であるかという命題を突き付けてくれる」と語っている。
畠山耕治氏の作品は、金属の細部の微妙な表情を突き出そうとする戦いの後が感じられる。その表情は時に重苦しく、時に心に落ち着きを与えてくれる。また、ギターを趣味とする氏が金属を叩きまくる音は、柴芝洋彦氏の協力を得てCDとして発売されている。尽きることない無限な可能性を見ながら、金属の音を聞き深秋の美味を味わうには良い季節である。
最近、酷なことにこれまでの作品とは全く異なるオーダーを畠山耕治氏に依頼した。完成の暁には、横浜の夜景が美しく見える場所に誕生する予定である。それは4〜5年先という先の話であるが。


  第10回
趙慶姫 Kyong-Hee CHO
趙慶姫氏ポートレート 趙慶姫さんは東京芸大大学院修了後スタジオ・オプを設立し、ガラスや銅器、アルミなどの素材特性を活かしたテーブルウェアや仏具等のプロダクトデザインを手がけている。最近はさらにデザインの領域を拡大し、横浜市営地下鉄線や臨海副都心線の環境アートを手がけている。
そんな趙さんは、「デザインはモノと人を結び付けることで、良くも悪くも変化に深く関わってきた。新たな方向に進んでいく時代に、デザインにたずさわる者として何をするべきか、何ができるのかを模索している」と謙虚に語る。
日常生活の中では、モノに溢れ、デザインの新たな領域などなくなりつつあるように思える。しかし、人間の新たな価値を求める心理や21世紀を目前とした期待や反省は、新しいクリエイティビティを求めている。

新しい生活基盤を作り出す優しいデザインを是非、趙さんに期待したい。

 


  第9回
黒田昌吾 Shogo Kuroda
黒田昌吾氏ポートレート 黒田昌吾さんと私の出会いは93年の高岡クラフトコンペに遡る(この年から工芸都市高岡クラフトコンペのアドバイザーに任命された)。91年、黒木靖夫審査委員に絶賛されたスーパー楕円の漆器(金賞・作品名「朱塗合子」)は、目にしたことのない美しいデザインで、これまで二分されていたクラフトとデザインの境界線をブチやぶる作品だった。
黒田昌吾さんは、富山大学経済学部卒業という学歴を持つ。そして、25歳の時に高岡市伝統工芸技術者養成スクールに入り本格的にクラフトを生涯の糧に選んだ。その後の活動は、プロフィールに記載されている通り順風そのものといえよう。

私が知る93年以降、創作活動に自信が持てたのか作品全体に安定したうまさが漂うになってきた。しかし、私はあえて厳しい注文を出したい。91年の「朱塗合子」の様な、新たな試みにどんどん挑んでほしい。一生活者として作品を購入して来たが、そろそろ新境地を見てみたい。そんな気持ちが高まりつつある。まだ、三十代半ばと年齢的にも若いので充分期待が持てる。また、他のジャンルのクリエーターとのコラボレーションなどの機会を求めて、クラフトの世界観を広げてほしいと切に思っている。

 


  第8回
佐藤康三 Kozo Sato
佐藤康三氏ポートレート 佐藤康三さんという人間を最も端的に表した言葉を、会社案内の文中に見つけた。
‘私のデザイン活動は、「形態と言う思想」を持った、デザインという名の人間性を中心とした「整理学」であったのではなかろうかと思う。’

確かにそうだ。府中駅南口の再開発事業からテーブルウェアまで、康三さんのデザインポリシーは一本の糸で繋がっている。同時に、キャラクターがいい。いつも爽やか、話が面白く筋が通っている、製造現場の知識が豊富など、人間としての基本がしっかりしている。
その康三さんがもっとも苦慮しているのは、創造活動にブレーキをかけるビジネス側の意識の未熟さではなかろうか。プロがプロとして邁進できないところに日本社会の混迷がある。しかし、康三さんのパワーはこのような混迷期を突破し、プロダクトデザインの世界でトップランナーとなっていくことを確信している。

 


  第7回
川口とし子 Toshiko Kawaguchi
川口とし子氏ポートレート 川口とし子さんは、いつも等身大のエネルギーをぶつけてくる人だ。等身大以上でもなければ、以下でもない。実に爽やかで実直な性格が滲み出るデザイナー(建築家)だ。
その川口さんが手がけるデザインは、性格がストレートに現れている、隠せない人だ。97年にイオスから商品化した「エスカルゴ」は、4つのサイズ違いの本箱が蝶番を起点にボールキャスターによってスムーズに広がるデザインを特色としている。このデザインにも、新潟の桐箪笥屋の娘として育ち子供の頃聞いたであろう職人さんたちの切れの良いカンナの響きが封印されている。今年の2月に発表した桐の家具シリーズは、4月のミラノサローネに出品し好評を得た。
この世界が好きでたまらない、川口さんの本領がさらに発揮されるウェーブはますます近づきつつある。

 


  第6回
澄川伸一 Sin-ichi Sumikawa
澄川伸一氏ポートレート 富山プロダクトデザインコンペティション1997のデザイン優秀賞に輝いたビタミン錠剤ケース「PECON」のデザインは、鮮明にいまでも記憶しているデザインだ。このデザインを手がけた澄川伸一さんは、千葉大を卒業後、ソニーのデザイナーとして8年間勤務、30歳を契機に半年間世界を一周する。帰国後、自らのデザイン事務所を設立した。7年前に初めてお会いした時は、童顔の素直な青年という印象だったが、どうして頑固なデザイナーポリシーを持つ。
ソニー当時から巧みな技(スキル)は、一目置かれていたデザイナーだけに独立後も順調にインダストリアルデザインを実践している。私が気になるのは、先の錠剤ケースの様に、日常デザイン力が発揮されていないところにきちんと球を投げ込むセンスなのだ。飯の種のインダストリアルデザインを半減して、そちらに・注力せよ・は酷な注文か。

 


  第5回
増田尚紀 Hisanori Masuda
増田尚紀氏ポートレート 筆者が増田尚紀さんのことを知ったのは、96年にニューヨーク近代美術館のキュレーター、パオラ・アントネッリが企画し好評を博した「ミュータントマテリアル・オブ・デザイン」の日本巡回展を手がけた時のことだ。この展覧会の為に編集された作品集のソフトカバーを飾っていたのが増田尚紀さんの作品「IQUOM」コレクション宝石箱であった。この表紙を飾った山形鋳物で造られた大小の器は、不思議な存在感を放っていた。生々しく有機的で、品がありずっしりと素材の重さを感じる作品であった。驚くべきことにこの作品が日本人の手によるモノだと知って、より印象を強くした。
地域に培われ継承されている技法をより高い価値に置き換えている増田尚紀さん。私たちが知らないだけで、日本にはそんな人がもっといるのかもしれない。この人たちの存在を筆者は、もっと身近にしたいと強く思っている。

 


  第4回
清水泰博 Yasuhiro Kiyomizu
清水泰博氏ポートレート 清水泰博さんは、芸大大学院を卒業後黒川雅之さんの事務所を経て、地元の京都で「SESTA DESIGN」を設立。手がけるデザインは生活雑貨から家具、さらにはランドスケープデザインまでその活動領域は広い。全体的にはシンプルに構成されたデザインを特色とするが、手に取ってみるとその有機的なフォルムとタッチがなんとも手になじむ。「中小企業の製品こそもっと個性を持つべきだ」という主張にも賛同できる有言実行タイプと筆者は見ている。
40代になりプロダクト中心の活動からランドスケープデザインへ、さらなる飛躍が期待される。それにしても黒川さんの事務所から旅立つ建築家・デザイナーは、素晴らしい才能の持ち主ばかりだ。本人にお聞きして機会があればその理由を紹介したい。

 


  第3回
羽生野亜 Noa Hanyu
羽生野亜氏ポートレート 1月中旬、東京西麻布の画廊・桃居・で羽生野亜の木工展が開催された。最終日の夕方、画廊を訪れた私は、展示された作品の完成度とともに多くの作品に売却済みの赤印がついているのに驚かされた。この展覧会を見て、再び羽生野亜さんが放つデザインについて考えたくなった。
羽生野亜は、工業デザイナーとして出発するが大量生産を目的としたモノづくりに2年間で見切りをつけた。その後、普通の人が買えるくらいの価格で、デザイン性に優れ、身近に置きたいモノを作ることを信条と定め再スタートする。
一見、古木を削りだしたように感じられる作品は、すべて新しい木(カバ材、ブナ材、山桜材)をわざと逆目で削りだし仕上げ、草木染めで色をつけて、カシューで塗装し、古木のような風合いを醸し出している。ロットに限りはあるが、ある程度の量を作ることは可能としている。
時代の進化に忘れがちな風合い、手触り、心地よさを羽生野亜は届けてくれる貴重な存在だ。

 


  第2回
高市忠夫 Tadao Takaichi
高市氏ポートレート 高市忠夫は建築家である。イタリアの多くの建築家がプロダクトデザインと建築を差別することなく、同軸上で捉え実践しているように「境界線はない」と考えているひとりである。そのことは、高市の事務所名「高市 都市・建築・デザイン」によく表れている。
フィロソフィーを綴った事務所案内の文中で、高市は「現実的であるより感覚的であれ、存在性よりも記憶的であれ、規則というより好みであれ、意識と言うより感動であれ…そう、イタリア人のように生活にこだわつて人生を楽しむ事から始まります。私達は常にこのような視点から都市から身の回りに存在するものまで、バランスのとれたデザインを実践したいと考えています。」と、綴っている。
今回紹介するデザインは、高市がイタリア時代に手掛けたモノだ。当時、高市はミケーレ・デ・ルッキの事務所に所属していた。滞在7年間に何度となく事務所を訪問した私は、ミケーレが高市を信頼している様子をハッキリ見ている。
このデザインは、イタリアデザインの特徴であるデザイナーの創造力と、それに適したマテリアルによりデザインされている。シンプルだが印象に残るフォルム、個々のパーツによる構成が楽しい。今後ますます意欲的なデザインを実践してほしい一人である。

 


  第1回
相川繁隆 Shigetaka Aikawa
相川氏ポートレート 相川は、富山県高岡市にある美術銅器を扱う(株)竹中製作所のデザイン室長として活躍している。同時にクラフト、プロダクトデザイナーとして、この十年の活躍ぶりは注目に価する。主なものだけでも1987年「デッサン大賞展」「京都デザインコンペ'87」銅賞、そして「工芸都市高岡'89クラフト展」金賞受賞からは毎年様々なクラフト展や文化展での受賞あるいは招待されている。また、昨年はアルミ素材を生かしたオープナー(栓抜き)グッド・デザイン中小企業庁長官特別賞を受賞している。歴史継承されてきたクラフト作品の継承者としても、アルミやプラスチックの今日的な素材を活用したデザイナーとしても、その造形に卓越し技をもつ一人である。
その相川は、いま「生活」というものを、より広い社会性ものに自身の仕事のウエートを置こうとしている。

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