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 ウェブスカイドア 現代篇
 



吉 雄介
YOSHI Yusuke


[ 略歴 ]
1965   神奈川県横浜市に生まれる
1990   東京造形大学美術学科II類卒業

[ 個展 ]
1992
  ルナミ画廊(東京)
1994
  ルナミ画廊(東京)
1996
  ルナミ画廊(東京)
1998
  Gallery伝 FLOOR2(東京)
METAL ART MUSEUM HIKARINOTANI(千葉)
1999
  G・Hギャラリー(東京)
2000
  ギャラリーイデア(東京)
養清堂画廊(東京)
2001
  ギャラリー介(東京)
GALLERY二葉(東京)
ギャラリー手(東京)
2002
  DEE’S HALL(東京)
2003
  神宮前アート倶楽部(東京)
2004
  G・Hギャラリー(東京)
GALLERY二葉(東京)
2005
  ギャラリーバッカス(東京)
トキ・アート・スペース(東京)
2006
  DEE’S HALL(東京)
2008
  プラザギャラリー(東京)(予定)

[ グループ展 ]
1995
  横浜銀行本店(神奈川)
「TAMA VIVANT」多摩美術大学八王子校舎(東京)
1999
  「風を視たか」(東京)
2000
  「風を視たか」(東京)
「[un]related 4 collaborators」セゾンアートプログラムGallery(東京)
「出会い I」コンテンポラリーアートNIKI(東京)
2001
  「Y+Y」アンのギャラリー(埼玉)
「第22回日本金属造型作家展」神奈川県民ホール・ギャラリー(神奈川)
「PARKING ALONG 調 3,4,17」プラザギャラリー(東京)
「出会い II」コンテンポラリーアートNIKI(東京)
2003
  「出会い III」コンテンポラリーアートNIKI(東京)
2005
  「METALLIC PARTY−5人の金属彫刻展」ギャラリーアートもりもと(東京)
「AIM2005」Art in Ichikawa+Matsudo(千葉)
2006
  「En coutering」パーソナルギャラリー地中海(東京)
2007
  「尾崎翠美術館」ギャラリー冊(東京)

[ パブリックコレクション ]
2001
  「野外彫刻設置」サミー川越工場(埼玉)

[ ワークショップ ]
2000
  「30-5=□」ギャラリーイデア(東京)
「ARTISTIC WORK SHOP」セゾンアートプログラムGallery(東京)
2000〜
  「ARTISTIC WORK SHOP」武蔵野美術大学 芸術文化学科(東京)


個展風景
1998

個展風景
1998

個展出品作品
2000

野外彫刻作品
2001

個展風景(部分)
2004

個展出品作品
2005

個展出品作品
2005

個展風景(部分)
2006
空間の擬態としての「かたち」

吉 雄介は、亜鉛メッキ鋼板、いわゆるトタンで制作を続けている彫刻家である(よく「ブリキ」と間違われるようだが、「ブリキ」ではなく、「トタン」である)。この素材は、作者自身が或る所で述べているように、軽く、弱く、安っぽい。しかしだからこそ、通常の彫刻作品が持ってしまう「重さ」を、それらは常に回避し、すり抜け、軽やかさに留まろうとしているように見える。あるいは、重たい物質がもっている、突き放すような性格、ではなく、見る者が感情移入しやすい「親しみやすさ」を持っている、ともいえる。これらは、何かの道具、あるいは部品、模型、さらにはオモチャ、とも見える。いま列挙した言葉は、考えてみると、ひとが手にもって使用し親しむものばかりだ。吉の作品もそのような相貌を確かにもっているのである。
これらの作品の殆どは幾何学的だが、どことなく、自ずからいまの形をとったような趣き、佇まいもしている。軽く、弱いからこそ、周囲の空気と気圧の変化に従ってかたちを変えたような気配を持つ。まるで空間の気配を察して自分から擬態した鉱物/生物のようだ。それらはまさに、その空間に於いては、そうでしかありえないという、ひとつの必然的な形態をとっているのだ。ただし、緊張感を伴なって、ではない。やはり軽やかに、というべきか。
吉の作品は、一見無造作に、ただ単にたまたま床に置かれただけ、というような様子で展示されたりする。このことも軽やかで近づきやすいという印象、そして増殖するモノ(生物)のような印象を与えるもとになっているのだが、さらに吉は、多量の展示物から観客が5点を選んで観客なりの自由な展示をする、というワークショップを、長く行ってきている。彫刻は動かせない、触れない、という不文律を越えて、作品と空間と観客との関係性を、もっと可変的に操作してもらおうという試みだ。そうすることで、作品のかたちと空間との関係性を、より敏感に感じ取ってもらおうとすること。このことは、世の中のあらゆるモノ、そしてわたしたちヒトがとりうる「かたち」について、改めて考えさせる。彼は、作品はただ「かたち」であるだけで、どんな思想も感情も主義主張もあらわしていない、という。それは確かにそのとおりだが、それらは「かたち」を通じて、やはりわたしたちの存在や世界や社会についての、より広い意味でのメタファーとなっているのかもしれない。
〜 倉林 靖/美術評論家