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渡辺好明
Yoshiaki Watanabe

2006年1月「ワンダリング・ウインド〜日本現代美術の3人」より
Gallery Apel、イスタンブール、トルコ
撮影:中山イクオ


[ 略歴 ]
1955   兵庫県生まれ
1980   東京芸術大学美術学部絵画科油画卒業
1982   同大学院壁画研究室修了
1985
  ドイツ学術交流会奨学生としてデュッセルドルフ美術アカデミーに留学
1989
  同校修了、帰国
1994
  日本航空協会「空の日芸術賞」受賞により、ライクスアカデミー(アムステルダム、オランダ)にゲストアーティストとして滞在、制作
現在
  東京芸術大学美術学部先端芸術表現科教授

[ 主な個展 ]
1985
  ギャラリー真和アネックス(東京)
1989
  Galerie von Gunten(トゥン、スイス)
1992
  YBPヨコハマガレリア(横浜、神奈川)
ギャラリー美遊(東京)
1994
  ギャラリートモス(東京)
Cult Galeie(ウィーン、オーストリア)
1996
  ギャラリー美遊(東京)
1997
  ギャルリSOL(東京)
1998
  巷房(東京)
1999
  川口現代美術館(蕨、埼玉)
アートフォーラム谷中(東京)
中京大学アートギャラリー Cスクエア(名古屋、愛知)
2000
  巷房(東京)
2001
  SPICA Museum(東京)
2003
  SPICA Art(東京)

[ 主なグループ展 ]
1987
  「ドイツ庭園博覧会」(デュッセルドルフ、ドイツ)
「成長する建築」(Malkasten、デュッセルドルフ、ドイツ)
1988
  「第5回ヴィラ ファラルディ芸術祭」(インペリア、イタリア)
1991
  「白州・夏・フェスティバル」(白州町、山梨)
1995
  「桐生再演2」(桐生、群馬)
1996
  「IMPLICATE ORDER-つつみひらく宇宙律-」(ギャラリー美遊、東京)
「美術の内がわ外がわ」(板橋区立美術館、東京)
アートフェスティバル in 鶴来」(鶴来、石川)
1997
  「光をつかむ-素材としての光の現れ」(O美術館、東京)
「サーヴェイワークス-測るもの 測られるもの-」(ガレリアラセン、東京)
「アジアン インスピレーション」(フェアフィールド市アートセンター、カリフォルニア、USA)
1998
  「デュッセルドルフ・ソウル・トウキョウ」(Kunstraum、デュッセルドルフ、ドイツ)
「芝山野外アート展」(芝山町、千葉)
1999
  「ヤーパンドルフ」(Kunstmuseum、トゥン、スイス)
2002
  「ジ・エッセンシャル」(千葉市美術館、千葉)
2003
  「Green Space2」(バウハウス大学、ワイマール、ドイツ)
「SYNAPHI-連系-」(表参道画廊/Musse F、東京)
2005
  「D/J Brand ドイツで学んだアーティストの発火点」(東京芸術大学大学美術館、東京)
2006
  「ワンダリング ウィンド 日本現代美術の3人」(Galerie Apel、イスタンブール、トルコ/遊工房、東京)

渡辺好明ホームページ:http://www.ima.fa.geidai.ac.jp/~yoshiaki/

「光ではかられた時 - 階梯 -」
1991年

「光ではかられた時 - 黄道 -」(壁面)
「光ではかられた時 - 真夜中の太陽 -」(床面)

1994年

「光ではかられた時 - 水鏡 -」
1995年

「光ではかられた時 - 螺旋階梯 -」
1997年

「光ではかられた時 - フィボナッチの薔薇 -」(作品部分)
1997年

「光ではかられた時 - オーナメント -」
1999年

「光ではかられた時 - ピタゴラスの樹 -」(作品部分)
2001年

「光ではかられた時 - ボロメオの結び目 - 」
2004年
概念の形成力

渡辺好明の代表的な仕事は、ロウソクを床に、あるいは壁や空間に並べて、順次に火が燃え移っていくようにしたインスタレーションのシリーズである。火と、それによる光の配置、となれば人は普通、呪術的・神話的なもの、あるいは情緒的・情念的なものを感じとる。渡辺の作品にそういうものを見ようとするのも、もちろん全く見当違いとはいえないが、しかし彼の作品についてもう少し深く考えていくと、そこにはむしろ抽象的な性格、クールな表情をみることができる。あえていえば彼はロウソクの光の配置から、呪術的・情念的な要素の強調を周到に避けているようにもみえるのである。
たとえば渡辺がロウソクで作り出してきたプラトン立体、フィボナッチ級数による形態、ピラミッドやジグラット、そして円や球体、直線といった要素のどれもが、むろん魔方陣のような呪術の要素ともとれるが、また純論理的・数学的な要素ともとれるのである。火とは心理的な要素である前にまず酸素の燃焼という物理的現象であり、光とは波の性質も粒子の性質も備えた電磁波の一種である。(あるいは酸素と水素の結合物である水が、表面張力による表面に外界を映し出す。)そうしてこれらの物理的現象の痕跡が、渡辺の作品の中心テーマである「時間」を可視化するのである。時間とはまさに、光が進行し或いは物理的現象が生起することによって成立する範疇である。渡辺の作品は、このようにして元素や物理現象の純論理的側面を、その美的外観を通じて表現しながら、私たちの世界とその時間、そして私たち自身のありようを示し、再構成し、考えさせるものなのではないだろうか。こうした意味で、ロウソクを使用した作品のほかでも、渡辺の作品は、その多くが水や土という根源的な物質にかかわっている、というのは、ひじょうに示唆的であると思える。
ところで渡辺自身は絵画畑の出身で、自分でも作品に彫刻的要素は少ない、といっているにもかかわらず、私はあえてそれらを彫刻的と考えたい誘惑にかられる。たとえばヨーゼフ・ボイスが概念や思考を彫刻と結びつけ、ゲーテ的な思考形成の表現と考えたのと同じ意味合いから、だ。そのとき、揺れる炎とそれらが作り出すかたちもまた、具体的な形成物として確固として立体的なのであり、炎をそのような現実態に形成したものこそ、まさに、渡辺が作品に注ぎ込んだ概念の力にほかならないのである。
〜 倉林 靖/美術評論家


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