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 ウェブスカイドア 現代篇
 



折元立身
TATSUMI Orimoto


折元立身は、70年代N.Y.に滞在していた際に体感したフルクサス、ハプニング、パフォーマンスアートなどに触発され、以来コミュニケーションアートとして代表的な「パン人間」や「アートママ」などのパフォーマンス作品を発表し続けています。現在折元の初となる大々的な回顧展がサンパウロ美術館にて2008年1月に開催されるなど、特に海外での評価が高く、折元は日本を代表する世界的な現代作家の一人です。

[ 略歴 ]
1946 神奈川県川崎市生まれ
1968 カリフォルニアに渡米
1969 カリフォルニア・インスティテュート・オブ・アートにて学ぶ(-1971)
1971 ニューヨークに移り、アート・ステューデント・リーグにて学ぶ (-1975)
1977 帰国
現在 神奈川県川崎市在住

[ 近年行った個展 ](抜粋)
2000
イベントフォト「“アートママ+アートママオブジェ“母の日記・フォトドキュメント・ビデオ”+イベントフォト“パン人間”」(原美術館、東京)
2003
イベントフォト「16個のドラム缶+16人の人々」(DNAニューアクションギャラリー、ベルリン、ドイツ)
2004
パフォーマンス+ドキュメントフォト「27人のセーリングブレッドピープル“処刑”」(川崎市市民ミュージアム、川崎)
2005
イベントフォト「母と息子」(DNAニューアクションギャラリー、ベルリン、ドイツ)
2008
折元立身 回顧展(サンパウロ美術館、ブラジル)
折元立身「ピクニック記録展」パフォーマンス「アルパカ+フクロウ+旗」(VOID+、東京)

[ 近年行ったグループ展 ](抜粋)
2001
ヴェネチアビエンナーレ第49回国際美術展(ヴェネチア、イタリア)
横浜トリエンナーレ2001(横浜)
スタンダード展(直島)
2002
第25回サンパウロビエンナーレ(サンパウロ、ブラジル)
バルティックセンター・オープニング展覧会(バルティックセンター現代美術館、イギリス)
釜山ビエンナーレ(釜山、韓国)
2003
美術展2003「ima」長崎カラ(長崎ブリックホール、長崎)
サージャインターナショナルビエンナーレ(ドバイ、UAE)
十和田展(十和田、青森)
2005
老いをめぐる美とカタチ(福島県博物館、福島)
韓国国際アートフェア2005(ソウル、韓国)
2006
食と現代美術aprt2-美食同源展(BankART Studio, NYK Hall、横浜)
メイド・イン・カワサキ展(川崎市民ミュージアム、川崎)
第2回ブカレストビエンナーレ(ブカレスト、ルーマニア)


Bread Man in a City
1991

Bread Man + Alzheimar Mama
1996

The Tube Communication: Mama and Neighbours
1996

Art Mama: Small Mama + Big Shoes
1997

16 Drum Cans + 16 People
2002

50 Grand Mamas
2006

Alpaca +Owl +Flag
2008

Alpaca +Owl +Flag
2008
裸形の存在様態への下降

折元立身は、自己自身による、あるいは他者を巻き込みながら行うパフォーマンスの形で、これまでさまざまな表現を行ってきたアーティストである。そこには過激なナンセンスさ、あけっぴろげなユーモアと一抹の皮肉があり、その裏には人間存在に関する鋭く深い洞察が含まれている。たとえば顔に幾つものフランスパンを巻きつけた異形の「パン人間」は、「人はパンのみにて生きるにあらず」という言葉を逆手にとった、あたかもパンへの関心のみで生きているかのような人間を演じるパフォーマンスであるが、そこには最低限の存在様態に下降した人間への、客観的で突き放した視線と同時に、それを肯定し受容しようとする態度も伴っている。折元のアルツハイマー病の母親を「素材」にした様々なパフォーマンス、作品(「アートママ」)も、通常の知性や論理を喪失しつつあるひとへの深いまなざしであり、その母親や他の人々をタイヤ、大きな靴、ドラム缶、ダンボール等で「拘束」する作品も、人間一般のありようを際立たせると同時に、その奥には彼女ら・彼ら対する慈しみ・愛おしさのような感情が隠れている。非日常の導入によってコミュニケーションの通路を作り、孤独の拘束を突破させ連帯への希望を作り出そうとしているところにもまた、彼の営みの特色があるといえよう。
もともと「フルクサス」との接触から始まった折元のパフォーマンスの根底には、この消費主義社会とは別種の「流通」を作り出そうとすること、ナンセンス(意味と無意味)の感覚を通じて消費社会の「価値」を相対的にしようとすること、への意志が強く感じられる。このグローバル社会で、病いや老い、経済的に豊かでないこと、弱者であること(つまり我々すべて)、の価値は、低下の一途をたどっているのだが、折元の営為には、こうした世の中で徹底的に弱者・無名者の側にとどまり続けることの強烈なラディカルさがある。彼は最近日本でアルパカやシマフクロウを伴うパフォーマンスを行ったが、かつて彼が手伝ったヨーゼフ・ボイスの観念的なパフォーマンスとは異なり、折元はどこかそれらの動物たちとの直接的な「連帯」を演じていたかのようだ。彼の表現は今日の社会のなかで、きわめて高い意義をもっているといわねばなるまい。
〜 倉林 靖/美術評論家


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