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 ウェブスカイドア 現代篇
 


棚田康司
Koji Tanada


[ 略歴 ]
1968   兵庫県生まれ
神奈川県茅ヶ崎市在住
1993   東京造形大学彫刻科卒業
1995   東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
2001   文化庁芸術家在外研修員として7ヶ月ベルリンに滞在

[ 主な個展 ]
1994
  ギャラリー美遊 (東京)
1996
  愛宕山画廊 (東京)
1997
  「ゆっくりと、肯定へ」ギャラリーαM (東京)
1999
  「Domination & Submission」ミヅマアートギャラリー (東京)
2000
  ミヅマアートギャラリー (東京)
2004
  ミヅマアートギャラリー (東京)

[ 主なグループ展 ]
1997
  「神奈川アートアニュアル’97<明日への作家たち>」神奈川県民ホールギャラリー (神奈川)
「空間の変容」東京藝術大学芸術資料館陳列館 (東京)
「Morphe’97一連鎖一」小原流会館 (東京)
1998
  「素材の予感」マスダスタジオ (東京)
「HOLY GIFT Vol.2」ミヅマアートギャラリー (東京)
「NCAF’98」名古屋市民ギャラリー (愛知)
「Young Art lnternationa1’98」OVERBECK‐GESELLSCHAFT (リューベック、ドイツ)
1999
  「素材の予感」マスダスタジオ (東京)
「拡兆する美術’99」茨城県つくば美術館 (茨城)
「彫刻・具象表現の解体と構築」東京芸術大学大学美術館陳列館 (東京)
2000
  「素材の予感」マスダスタジオ (東京)
2001
  「S(h)itting in the mirror:オレにはオレがこう見える」ミヅマアートギャラリー (東京)
「FLAGSHIP 2001 Tour」エキジビジョン・スペース (東京)
「Sex and Consumerism: Contemporary Art in Japan」University of Brighton Gallery (Brighton)
(Aberystwyth Arts Centre (Aberystwyth)、Stanley Picker Gallery (London)、Hot Bath Gallery (Bath)へ巡回)
2002
  「ちがさきアートNOW:四つの部屋ー身体の虚実」茅ヶ崎市美術館 (神奈川)
2003
  「彫刻の身体」東京藝術大学大学美術館陳列館 (東京)
「皮膚・身体・コミュニケート」女子美アートミュージアム (神奈川)
2004
  「TOKYO STYLE」MILLIKEN Gallery (ストックホルム、スウェーデン)
2005
  「第8回岡本太郎記念現代芸術大賞」展 川崎市岡本太郎美術館 (神奈川)
「Since 1994 - 10周年記念展」ミヅマアートギャラリー (東京)
「YOU or IT」ミヅマ・アクション

[ 賞等 ]
2005
  第8回岡本太郎記念現代芸術大賞特別賞

[ パブリック・コレクション ]
東京藝術大学大学美術館、NTT DoCoMo 川崎ビル

arms
1997年

支配と従属
1999年

記念日
2003年

少女
2003年

蝶少女
2004年

母を待つ少年
2004年

少女像
2005年

立ち上がった少年
2005年
震える魂と肉体の表出

棚田康司は以前から飛翔する人体、脚や顔など変形されデフォルメされた人体を制作してきたが、それらはいわば、いまだ現代美術の近年の流れの一環としての人体表現に、すんなり収まるものであった。近作において棚田は一層大胆に、ある意味で人を惑わしもしまた引きつけもする、いっぷう変わった表現を行うようになった。それは人体を以前よりもさらに、カリカチュア的とでもいえるほど徹底的にデフォルメさせることによっているのだが、私見ではおそらくそこには、「精神」の表出という、今日の現代美術があまり遭遇することのない主題への挑戦が行われているのである。
棚田の近作における人体は、見ようによっては非常にポップな、あるいはコミックやアニメーションのキャラクターのような様相をもってたちあらわれているが、一方では、非常に古い西欧のキリスト教彫刻にみられるようなオーソドックスさを備えてもいるのである。私は棚田がドイツに滞在したことがあるのを念頭に置いていてこうした連想を抱くのだが、そこにみられるのは例えばドイツ中世の痩せ細った磔刑のキリスト像に託された、表現主義的な意味での「精神」の表出である。あるいは肉体は精神のそのような表出のためにこそあるという確信の表出である。棚田の近作の少女たちは、カーニバル的な祝祭に登場する民衆的・民族的な相貌を帯びているといってもいいのだが、花や天、また特に蝶と名づけられた(蝶=プシケはヨーロッパ古来からの「魂」の象徴である)これらの少女たちは、肉体を超越し、震える精神として存在し、結局肉体は(そしてモノは)精神のあらわれとして初めて存在しうるという、古来から人々が抱いてきた古い観念を私たちに思い起こさせる。精神=魂としての人間像を制作するという態度は、棚田にとってはある夫婦をモデルにした彫刻から始まったらしいが、彼の近作では、これら震える魂を持っているのが磔刑のキリストではなく少女たちであるということが、非常に現代的なのだといえようか。それらは都会の片隅で、現代の消費・情報社会に取り巻かれて生きるわたしたちの肖像なのであり、それはまたわたしたちの現代的な問題性を普遍とつなげ、重ね合わせる面も持っているのである。
〜 倉林 靖/美術評論家


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