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たほりつこ
taho ritsuko


[ 略歴 ]
1973
  徳島大学医学部栄養学科卒業
1977
  武蔵野美術大学造形学部工芸工業デザイン科卒業
1979
  武蔵野美術大学大学院工芸工業デザイン専攻終了
1985
  イェール大学大学院美術学部彫刻専攻終了

[ パーマネント パブリック アート ]
1994
  ポストユートピア (那須、栃木)
1994
  デュエット (徳島)
1997
  多文化宣言 (ケンブリッジ、マサチューセッツ、アメリカ)
2000
  ミスト ファウンテン
 (シャーロット、ノースキャロライナ、アメリカ)
2002
  ポエムの窓 (アムハースト、マサチューセッツ、アメリカ)
2003
  グリーン ヴィラ (川西、新潟)
2004
  アクアポリス (ボストン アメリカ)

[ 主なテンポラリ パブリック アート ]
1986
  ヴィスタ イン サイト (アートパーク、ニューヨーク)
1987
  アルテミス キバ
 (アート オン ザ ビーチ、ニューヨーク)
1988
  期待の劇場 (ノースキャロライナ、アメリカ))
ご近所は何というかしら(ボストン、アメリカ)
1991
  ジオ ルミニセンス
 (ケンブリッジ マサチューセッツ アメリカ)
1994
  センス アビリティーズ (ケープコッド、アメリカ)
多文化外交官 (アトランタ、アメリカ)
グランドサークル (ケンブリッジ、アメリカ)
ゲームをしましょう (ケンブリッジ、アメリカ)
1995
  ゼロの変換 (サンフランシスコ、アメリカ)
1996
  ゼロの変容 (ニューカッスル、イギリス)
1997
  夢の手 (ケンブリッジ アメリカ)
1998
  楽農講座 (神戸)
1999
  夢シャワー (博多川辺、福岡)
2000
  i55 / e200 (検見川、千葉)
2002
  イエローマウス (おゆみ野、千葉)
2003
  インディゴ キルト プロジェクト (ニューヨーク)
地上絵ワークショップ (川西、新潟)

[ 主な個展 ]
1979
  陽藁 (ときわ画廊、東京)
1982
  アッシュ ウオール (ルナミ画廊、東京)
1983
  陽藁の行方 (ときわ画廊、東京)
個展 (徳島郷土文化会館 徳島)
1984
  風景を求めて (ニューへ-ブン、アメリカ)
1986
  どうやって動く砂丘に家を建てるか (ケープコッド、アメリカ)
1987
  記憶の裂け目 (プロビンスタウン、アメリカ)
個展 (ハーバード大学カーペンターセンター アメリカ)
1989
  記憶のはじまり (バンフセンター、カナダ)
輝き (オルタネーティブ美術館 ニューヨーク)
窓礼賛 (カンター アート ギャラリー アメリカ)
1991
  道の上に
 (マサチューセッツ芸術大学メインギャラリー、ボストン)
1995
  ゼロの変換
 (キャップ ストリート プロジェクト サンフランシスコ)
1997
  個展コミュニティーアート (スペース カレード)
2004
  予測不可能な噴水 (目白オープンギャラリー)

[ 主なグループ展 ]
1978
  二人展 (ときわ画廊、東京)
1980
  フォルマ プリーマ 国際彫刻シンポジウム
 (クラピナ、ユーゴスラビア)
国際展 (東京都美術館、東京)
1981
  グループ展〜1983 (武蔵野美術大学美術図書館、東京)
1985
  修了制作展
 (イェール大学アート&アーキテクtチャーギャラリー、ニューへブン)
ノーフォーク スカルプチャー プロジェクト
 (ノーフォーク、アメリカ)
1986
  シックス スカルプター
 (アーティスト スペース、ニューヨーク)
1987
  フロム ザ ファイル
 (オータナティブ美術館、ニューヨーク)
1988
  ニューワーク ジャパン
 (ブラトロブロー美術館、ヴァーモント、アメリカ)
ニューイングランド7つの美術館・ギャラリーを巡回
パブリック アート イン チャイナタウン
 (アジアン アメリカンセンター、ニューヨーク)
ボストン ナウ (ICA、ボストン)
1989
  テラ ファーマ (ボストン大学ギャラリー、ボストン)
1991
  ボストン ナウ 10 (ICA、ボストン)
1994
  開放系 (水戸芸術館、水戸)
1995
  トポスの復権展 (ヒルサイドフォーラム、東京)
トポスの復権展 (OXギャラリー、大阪)
1996
  トポスの復権展 (富山市民ホール、富山)
シリアス ゲーム
 (レインギャラリー、ニューカスル、イギリス)
1997
  シリアス ゲーム (バービカン センター、ロンドン)
1998
  スピリット オフ プレース
 (アクランド美術館、ノースキャロライナ)
1999
  第一回福岡アジア美術トリエンナーレ
 (福岡アジア美術館、福岡)
2003
  越後妻有アートトリエンナーレ (川西、新潟)

[ 受賞・フェローシップ記録 ]
1985
  F D パーディ賞 (エール大学、ニューへブン、アメリカ)
ヤド フェローシップ
 (サラトガ、スプリングス、ニューヨーク)
ヴィジュアル フェローシップ
 (ファインアーツ、ワークセンタ、マサチューセッツ)
1986
  ジャパンUS アーツ プログラム フェローシップ
 (ACCニューヨーク)
1987
  アーツマタース グラント (ニューヨーク)
ポロック クラズナー フェローシップ (ニューヨーク)
1988
  ヴィジュアルアーツグラント
 (LEF財団、セントヘレナ、アメリカ)
ニューワーク グラント
 (マサチューセッツアーツカウンシル、ボストン)
1989
  ティファニー賞 (ティファニー財団、ニューヨーク)
1993
  アーティスト フェローシップ
 (アーティスト財団、マサチューセッツ)
バンティング フェローシップ (ハーバード大学、アメリカ)
1994
  グッゲンハイム フェローシップ
 (グッゲンハイム財団、ニューヨーク)
1996
  MITアートカウンシル (ケンブリッジ、アメリカ)
2000
  アノミナス イス ア ウーマン フェローシップ (ニューヨーク)

「多文化外交官」部分
1994年

「多文化外交官」設置部分
1994年

「多文化宣言」
1997年

「多文化宣言」部分
1997年

「夢シャワー」
1999年

「イエローマウス」
2002年

「ポエムの窓」
2002年

「インティゴ キルト プロジェクト」
2003年
公共性と「夢」の空間

たほりつこが行っているのは、「パブリック・アート」と呼ばれている範疇の仕事である。単に巨大な立体物を一方的に設置する、というのでなしに、住民との綿密な共同作業を伴い、地域の活性化が目指されている、という意味では、「コミュニティ・アート」という言い方のほうがふさわしい、ともいえる。たとえば1994年にアトランタで制作された「多文化外交官(夢の手)」は、白人、黒人をはじめ様々な人種構成により、複雑な歴史と社会を形成してきたこの都市の過去と未来を示すシンボルとして、「風と共に去りぬ」の著者マーガレット・ミッチェルが住んでいた建物の上に設置された作品である。地域住民四万人に様々な言語で将来への自らの「夢」を色紙に書いてもらい、それをビニール製の手袋に入れて風船のように膨らませ、ミッチェルの家の屋根に載せる、というものだ。
「夢」をテーマにするという着想は、黒人差別の撤廃を目指し公民権運動に取り組んだキング牧師が1963年に行った有名な演説「I have a dream」からとられた、ということだが、以後、夢のテーマは、たほにとって非常に重要なものになる。48か国の言語で「夢」という単語や個々人の夢を書き付けた彫刻「夢の塔」を配した「多文化宣言」(1997)、あるいは「ドリーム・シャワー」(1999)と名づけられた作品があり、最近(2004)発表されたハリウッド市の「ヤング・サークル・アーツ・パーク」の設計案でも「ドリーム・ウェイヴ・スカルプチャー」という要素が示されている。
たほのパブリック・アートが、多文化間の軋轢という社会的にシビアな問題を扱っていながら、一方ではすがすがしい感触をもっているのは、夢、詩、瞑想といった要素をそこに導入して、個々人の精神の豊かな広がりを公共空間に生じさせる可能性を感じさせるからだ、といえるだろう。そしてそれこそがまさにアートにでき、アートに期待されることであるがゆえに、たほの仕事は真の意味での「パブリック・アート」の成立を予感させる。今日、公共性という考え方、公的空間と私的空間の再定義が、社会文化思想の分野において急務であるだけに、たほのアート作品は、社会に向けて重要な示唆と提言を行いうるのではないだろうか。
〜 倉林 靖/美術評論家