ジャパンデザインネット
 ギャラリー
 ウェブスカイドア 現代篇
 


本原玲子
Reico Motohara


[ 略歴 ]
1963   静岡県富士市生まれ
1986   多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業
1988   渡英

  Central St.Martin's College of Art and Design 陶芸科入学
1990
  Royal College of Art M.A. in Ceramics 入学
1992
  Royal College of Art M.A. in Ceramics 修了
2001
  38STUDIO(工房兼ギャラリースペース)設立(静岡市)

[ 主な個展 ]
1994
  ギャラリー伝(東京)

  ギャラリープラッツ(静岡)
1997
  にっせんれん画廊(静岡)
2003
  「雨をあつめる器」ギャラリーブリキ星(東京)

  「境い目の住人」ギャラリーTAO(東京)
2004
  「不可視のトモダチ」ぎゃるり灰月(松本)

  「between thought & speech」エキジビション・スペース、
東京国際フォーラム(東京)
2005
  ギャラリーブリキ星(東京)

[ 主なグループ展 ]
1992
  “Interior Spaces”LIBERTY(ロンドン)

  Thomas Goode(ロンドン)

  “10graduates from R.C.A”Brewery Gallery(ケンダル)
1995
  “Art in Living”ニコスギャラリー(東京)
1998
  「2人展」クラフトコンサートイズム(静岡)
2002
  「2人展」ギャラリーTAO(東京)
2005
  「『鳥』展」ギャラリー椿(千葉)

  荒井アトリエギャラリー(東京)

[ 今後の個展予定 ]
2006
  ギャラリーTAO(東京)
2007
  ギャラリーワッツ(東京)、ミュゼ南洲(神奈川)
2008
  ギャラリーブリキ星(東京)

WEBサイト:http://www.38studio.com

雨の棲み家
2003年

untitled
2002年

お日待ち
2004年

わたくしごと
2003年

「杉山」
2004年

ハシゴ
2005年

untitled
2005年

ギャラリーブリキ星展示風景
2005年
「作品」と「日常」のあいだ

本原玲子の陶芸は、器としての用途があるのかと一瞬思わせるが、どうもその大部分は用途がないもののようである。かといって、実用品ではなくて純粋な「作品」としての陶であるのか、というと、彼女のつくったものは、いかにも作品です、というような面持ちをしていない。ここで私たちは、実用品とは何で作品とは何なのか、という、日常なにげなく引いている境界線が、曖昧というか本当はあまり意味のないものであることに気付かされはじめるのである。彼女の陶は、日常いつもさりげなく存在しているものとして在るところに、そのいいところ、愛おしさがあるのであって、そのことでは私たちが日常の実用品を愛でるのと何ら変わりがない。いやむしろ、私たちがもの一般を愛でるときには、用途とか機能とかのことは横に置いて、もっと違う何かに引かれるために愛でるのだということがあるのかもしれない。
彼女の文章のなかに、土というものはソリッドであることを好まない、という言葉があって、土で作られるものは自ずから、なかに含まれる空洞や、内外の空気を流通させる孔といったかたちを生み出してくるのだ、というようなことを述べている。おそらく第一には、さまざまな素材がそのものとして作られている自然なありようが、私たちの心の琴線に触れ、ものを愛で慈しむ気持ちを生み出すのである。大気や水、土などに囲まれた生命としての私たちがこの世界のなかにあるありようと、素材が生み出されてきたありようとが共鳴しあって、つくられたものの深部に私たちが惹かれていくということが起こる。ただし、その共鳴はいつも同じ普遍的なことを語るだけではなくて、そのときどきの私たちの気分や周囲の環境の変化によって、さまざまなかたちをとりうる。日常の細かな心理や気分の変化がものに反映し、こうして本原のつくるものは、それらの変化に応じたいろいろなかたちのヴァリエーションをとりうるのだ。彼女は自分の作品は美術館よりもどこかのお宅に在ってほしいといっているが、まさにこれらのものは、日常を超越した空間よりも、日常のなかに置かれてこそ、その存在を輝かせるのだろう。
〜 倉林 靖/美術評論家