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鴻池朋子
Tomoko Konoike


[ 略歴 ]
1960   秋田県生まれ
東京都在住
1985   東京芸術大学美術学部日本画専攻卒業
おもちゃ、家具のデザインを経て現在に至る

[ 主な個展 ]
2006
  大原美術館 有隣荘(倉敷)
2005
  「みみおに不時着」ナディッフ(東京)
「草原に不時着」ミヅマアートギャラリー(東京)
2002
  「外はすぐそこ」ミヅマアートギャラリー(東京)
2001
  「みみお絵本 原画展」青山ブックセンター(東京)
「ギ・ガ」フジカワギャラリー/ネクスト(大阪)
「呼吸する何千ものラフたち」アクシスギャラリー(東京)
2000
  「ひえびえと かがやかしく 目ざめる」ミヅマアートギャラリー(東京)

[ 主なグループ展 ]
2006
  3月「Videoformes」」(クレモンフェラン・フランス)
3月「Aランチ」展キュレーション アクシスギャラリー(東京)
2005
  「Sketch in Motion」スケッチ・ギャラリー(ロンドン・イギリス)
「Neo-Aesthetics of Animamic」上海美術館、北京美術館巡回(中国)
「Occhi Nuovi」(ラヴェンナ・イタリア)
「Psionic Distortion」プラム・ブロッサムズ・ギャラリー(ニューヨーク・アメリカ)
「ストーリーテラーズ アートが紡ぐ物語」森美術館(東京)
「MOT アニュアル2005:愛と孤独、そして笑い」東京都現代美術館(東京)
「I just Don’t Know What to Do without Myself」マレッラ・アルテ・コンテンポラネア(ミラノ・イタリア)
2004
  「オッフィチーナ・アジア」ボローニャ近代美術館(ボローニャ・イタリア)
2003
  「地之縁展」杭州美術学院(杭州・中国)
「シティーネット・アジア・プロジェクト:都会的関係、継続すること」
ソウル市立美術館(ソウル・韓国)

[ 主な上映 ]
1999-2000
  「ミミオ、アニメーション」Q-Frontビル 野外ビジョン(東京)

[ 主なキュレーション ]
2005
  「Aランチ・私は作品をメニューからチョイスする」アクシスギャラリー(東京)
2003
  「六感の森」アクシスビル(東京)

[ 主な著作 ]
2004
  澁澤龍彦 『ホラー・ドラコニア少女小説集成(肆)「狐媚記」』挿絵、 平凡社
2003
  『六森手帖』六感の森実行委員会 絵本『みみお』青幻舎

[ 主なパブリックアート ]
2003
  ミューザ川崎(神奈川)
1997
  1997 群馬県桐生市市民文化会館(群馬)

[ 主な文献 ]
2005
  斎藤 環「境界線上の開拓者たち-反復する不時着-」『美術手帖』

  荒木夏実「アートが紡ぐ物語」展覧会図録『森美術館』

  鴻池朋子「語られた物語 描かれた予兆」インタビュー『美術手帖』

  モンティ・ディピエトロ「Girls in the company of wolves」『The Japan Times』インタビュー 

  ドミニク・チェン「Lifer Knife」『鴻池朋子作品集』 
2004
  笠原美智子「シビアな日本の<今>を生きるために」『美術手帖』

  山下裕二「常識にくるまれた狂気-鴻池朋子の表現について」書評『狐媚記』平凡社
2003
  清水敏男「ミューザ川崎アートワーク」常設作品カタログ
2002
  原田環「鴻池朋子 無垢なるものの心音が聞こえてくる絵本」インタビュー『美術手帖』

第4章 帰還
−シリウスの曳航−

2004年

展示風景
「MOT ANNUAL 2005:
愛と孤独、そして笑い」展

2005年

第3章 遭難
2005年

展示風景
「ストーリーテラーズ:
アートが紡ぐ物語」展

2005年

I’m here
1998年

パブリックアート ミューザ川崎
設置風景

2003年

Knifer life(部分)
2000-2001年

“mimio -odyssey-”より
2005年
挑発される蜜月

鴻池朋子の最近の作品には、スニーカーだけ履き太腿まで露わになった少女の脚、狼、飛散する無数のナイフ、といった幾つかの共通するモチーフが登場する。そしてタイトルには、それが続き物の物語の一場面であるような語彙(帰還、遭難、巨人)と章立てが与えられている。だから鑑賞者は作品の背後に、作者によって組み立てられたストーリーがあるのでないかと想像してしまう。ところが作者によれば、そこには想定されたストーリーなど何もなく、作品は単に、いかにも物語的な雰囲気を醸し出しているだけであり、むしろ鑑賞者が個々に、好き勝手にストーリーを組み立てれればいいのだ、という。これらのイメージが表しているものについても、評者それぞれが何をそこに見てとろうとも、どんな理論を構築しようとも(少女性やジェンダー、変身や憑依、心理分析と身体、トラウマ、あるいはコミックやアニメの影響、等々…。)どうぞご随意に、ということらしいのだ。 私にとって気になるのは、〈物語〉とはなんなのか、ということである。もともと物語とは古来より、バラバラなイメージの断片から個々人の頭の中で勝手に作られてきたものであったのか、それともこれは特に、薄っぺらなストーリーがメディアによって大量に垂れ流しされるに至った現代社会に生きる人間に、典型的な心性であるのか。それともやはり人間の心理には集合無意識のように強烈な物語の呪縛がひそんでいて、現代においても、こうした断片的なイメージからでさえ、物語は強い意味性を持って甦ってくる、ということなのか。 〈物語〉がなぜ今日の私たちにもこんなにも気になるのか、といえば、それはやはり人間は基本的には自己の物語をつくることによってしか生きられない、という事情があるからであろう。生きるとはすなわち自意識内での物語を生きることである。あるいはこうもいえる。少女の脚、狼、ナイフという鮮やかなイメージを与えられたとたん、経験的・文化的な記憶と記号の蓄積のなかから「物語化」は作動する。脚、狼、ナイフという意味ありげな事物の一瞬の強烈なイメージは、同時にそれ自体がすでに濃密な〈物語〉である。鴻池の作品は、イメージと物語との微妙な蜜月を挑発する特質をもった、すぐれてイマジナリーな作品群なのだといえよう。
〜 倉林 靖/美術評論家


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