J D N トップ
 ギャラリー
 ウェブスカイドア 現代篇
 



1935
  長野県に生まれる
1957
  信州大学教育学部修了
1979〜80
  ニューヨークに滞在
1997〜99
  多摩美術大学美術学部芸術学科非常勤講師


[ 個展 ]
1978
  第7画廊 / 東京
1979
  版画展 < 風景> ギャラリー・ヴィヴィアン / 東京
1981
  '82 / 銀座絵画館 / 東京
1982
  '85'88'90 / ギャラリー山口 / 東京
1983
  ギャラリーK / 東京
1984
  長野東急デパート / 長野
コバヤシ画廊 / 東京
1992
  「さまざまな眼」かわさきIBM市民ギャラリー / 神奈川
1994
  '95'98ぎゃらりぃ宏地 / 東京
1996
  アートフォーラム谷中 / 東京
1997
  「空間のはざま」ギャラリー82 / 長野
2001
  「風景 ― 見えてくるもの」トキ・アートスペース / 東京
「風景 ― 見えてくるもの」フタバ画廊 / 東京
2002
  「小松崎広子 80年代」展(ギャラリーGAN / 東京)


[ グループ展 ]
1974
  第8回現代美術選抜展(文化庁主催)
1975、76、77、79
  毎日現代日本美術展(東京都美術館 / 東京)賞候補
1977
  リュブリアナ国際版画ビエンナーレ
1978
  第8回版画大賞展(西武 / 東京)
第4回ノルウェー版画ビエンナーレ
1984
  「今日の絵画の問題」展(ギャラリー山口 / 東京)
1985
  ダイアローグ・モノローグ(高見沢文雄・小松崎広子 なすび画廊 / 東京)
1986
  降り立った < 絵画 > 展(東京都美術館 / 東京)
1990
  ギャラリー古川オープン記念展(木島彰・清水誠一・小松崎広子)
2000
  「千年の扉展」(栃木県立美術館 / 栃木)

即興 A-48
1985年

即興 A-41
1985年

風が通りぬけて A-67
1986年

風が通りぬけて A-81
1986年

風景の記憶 02-5
2002年

風景の記憶 02-4
2002年

Jardin 03-1
2003年

Jardin 03-2
2003年
小松崎広子

70年代末から版画の作品を手掛けてきた小松崎は、80年代に入ると油彩を発表するようになった。それは、ミニマル・アートやカラーフィールド・ペインティングの作例を踏まえ、現代の抽象絵画の生成を問う誠実な仕事といえものだ。
80年代のシリーズは、黄土色の地に等間隔のストライプが横にあり、その間には右から左に走る線描があった。90年のシリーズでは、画面は縦に何層か色の面によって分割され、単色の面と細かいタッチによる多彩色の面が対抗していた。90年代半ばのシリーズでは縦に黒くジグザグの線が太くあり、そこを境に青や黒、緑がかった色面などがこすられたような調子であった。近年の作品は、オレンジ調の地に仮名書きのような細かいストロークが画面に走るものである。
このように、小松崎のいくつかの仕事を振り返ると、地と図、色面とタッチ、絵画を成立させる要素そのものの場で格闘していることに気付く。2メートル余の画面を主とする作画なのだが、そこに表れる限られた語り口、抑制された構成は一種爽やかな小気味よさをみせる。おそらく、画家が熟知している身体性の感覚、手と画面の距離、ストロークの勢い、タッチの間隔などが長年の修練によって無意識に整理されているからだろう。しかし、そこで止まれば終点なのだ。だからこそ、画家はまたカオスのような状態を求めつづけ、絵画に向かうのだ。小松崎が目指す絵画は止まらない。
たとえて言うなら、印象派の画家たちが事物の個有色を捨てたように、常に変わりゆく光景を捉えようとしているのだ。

〜 三上豊/和光大学教授


JDNとは広告掲載について求人広告掲載お問合せ個人情報保護方針ウェブサイト利用規定サイトマップ
デザインのお仕事コンテスト情報 登竜門展覧会情報

Copyright(c)1997 JDN
このwebサイトの全ての内容について、一切の転載・改変を禁じます。