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小泉俊己
KOIZUMI Toshimi


[ 略歴 ]
1958   東京生まれ
1983   多摩美術大学彫刻科卒業
1985   多摩美術大学大学院美術研究科修了
1993   文化庁芸術家在外派遣研修員として、ドイツに1年滞在
現在   多摩美術大学絵画学科准教授

[ 個展 ]
1985
  ギャラリー山口/東京
1986
  ギャラリー山口/東京
1988
  ギャラリーなつか/東京
1989
  ギャラリーなつか/東京
1990
  ギャラリー山口/東京
1991
  ギャラリーなつか/東京
1993
  イトーキ銀座ニューオフィスギャラリー/東京
ギャラリーなつか/東京
1995
  ギャラリーなつか/東京
1998
  ギャラリーなつか/東京
2001
  ギャラリー山口/東京
2005
  島田画廊/東京

[ グループ展 ]
1984
  第15回日本国際美術展(東京都美術館/東京、京都市美術館/京都)
1985
  第17回現代日本美術展(東京都美術館/東京、京都市美術館/京都)
「臨界芸術・'85の位相」展(村松画廊/東京)
1986
  第5回平行芸術展(小原流会館/東京、同館/大阪)
芸術-平和への対話展(大倉山記念館/横浜)
現代日本の美術3-戦後生まれの作家達(宮城県美術館/仙台)
1987
  今日の立体(山口県立美術館/山口)
彫刻動物園(栃木県立美術館/宇都宮)
ニュートレンズ(世田谷美術館/東京)
1989
  世田谷美術展(世田谷美術館/東京)-以降開催年に出品
現代日本美術展-20ste Biennale Middelheim-Japan(ミッデルハイム野外彫刻美術館/アントワープ・ベルギー)
第25回今日の作家展-かめ座のしるし(横浜市民ギャラリー/神奈川)
1991
  INSIDE EYE The 2nd-1991(東京銀座アートセンターホール/東京、同ホール/京都)
野性の復権(世田谷美術館/東京)
第2回足立区野外彫刻展(足立区元淵江公園/東京)
1992
  彫刻の遠心力-この10年の展開(国立国際美術館/大阪)
1995
  大阪トリエンナーレ1995 - 彫刻(マイドームおおさか/大阪)
1996
  チバ・アート・ナウ'95(佐倉市美術館/千葉)
1998
  アート/生態系 美術表現の「自然」と「制作」(宇都宮美術館/栃木)
1999
  フライラウム(ABCギャラリー/バラナシ・インド)
2005
  第21回現代日本彫刻展(宇部市野外彫刻美術館/山口)
2007
  水のかたち(茨城県近代美術館/水戸)
物語の彫刻(東京藝術大学美術館陳列館/東京)

[ 主な収蔵先 ]
世田谷美術館、足立区まちづくり公社、厚木NTT基礎技術総合研究所、大阪府立現代美術センター、大阪府泉佐野市総合文化センター/大阪府三島郡島本町ふれあいセンター、八王子市南大沢文化会館、茂原市茂原神経科病院

泉 ─ Fountain
1985

奥:森の中の一本の木 ─ A Tree in the Forest
手前:水準器 ─ A Level

1989

A Garden in the Forest
1991

voyage
1993

奥:灌漑と近景T ─ Irrigation - Near View T
手前:灌漑と近景U ─ Irrigation - Near View U

1995

かえる日 ─ returns
2001

奥:三年と少し(雄滝) ─ A Little Over Three Years(Waterfall-Male)
手前:三年と少し(雌滝) ─ A Little Over Three Years(Waterfall-Female)

2005

水脈より(二日前) ─ From the Water Vein (Two Days Before)
2007
時間の器(うつわ)

小泉俊己の作品には、森、木、水、泉、といったモティーフがよく登場する。かつて彼が子供の頃、多摩の雑木林で遊んだ記憶と、大学入学以前に遺跡発掘のアルバイトに従事した経験が、作品に深く刻印されているという。木の葉や水の流れ、時間の循環や微細な生命の営みといった脆そうな要素は、一見、彫刻というジャンルとは異質に思えるものだ。
彫刻とは、生命あるものを永遠のかたちに凝固させたものというイメージがある。人体をかたどった古今の彫刻がその典型的なものだ。しかし不動性が強調されているのであれ、束の間の運動や生命感が強調されているのであれ、彫刻は、不動のものという外見を超えて、かたちのないもの(形態に対する精神)、動きのあるもの(時間、生命の循環)をそこに常にあらわそうとしてきた。その意味からいえば、小泉の試みも、そうした彫刻の本質の延長線上にあるといえるだろう。
小泉が初期の作品から多く使用してきた形態に、器(うつわ)状のもの(壺状のもの、あるいは木の葉や皿=舟のようなもの)がある。器は、外側と内包、外見と内容という対比のなかで、「かたち」が従わせる「かたちなきもの」の存在を匂わせる。空の状態から満たされた状態への、時間的変化も示唆することができる。彼の作品の基底に常に流れ、それを本質的に彫刻的なものとしているのは、こうした、ものの存在様態の二つの層(「かたち」/「かたちなきもの」)への、一貫して透徹した眼差しなのではないだろうか。こうして、この器のかたちから流れ出る水の循環が、生命のありようそのものを、観る者に様々な意味において凝視させるのである(例えば、2001年の「かえる日」)。
最近では、この「器」の形態への指向は、箱庭的に、或る場全体を包み込む、という傾向性にあらわれているようである。「三年と少し」とか「水脈より(二日前)」と題されて時間性も包み込んだ、分断されたイメージの並列による作品では(これらの作品には「雄滝」と「雌滝」という水の流れへの言及もある)、「かたち=イメージ」が生じる場の時空性そのもののありようが、問題化され作品化されているようでもある。わたしたちが過ごす生命のひとときの時間は、いかにしてひとつのかたち(イメージ)をまとうのか。こうして小泉の作品は、じっと立ち止まって私達の来し方と行く末、存在のありかを静かに見つめなおさせるような、現代において得難い不思議な相貌を獲得しているのである。
〜 倉林 靖/美術評論家


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