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五十嵐威暢
Takenobu IGARASHI


[ 略歴 ]
1944   北海道滝川市に生まれる
1968   多摩美術大学卒業
1969   カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院修士課程修了
1994
  グラフィック及びプロダクトデザイナーとして活動後、彫刻家に転向
2004
  米国より帰国
2005
  横須賀市秋谷にアトリエを構える

[ Selected Solo Exhibition (Sculpture) ]
1983
  ラインホールド・ブラウンギャラリー (ニューヨーク)
ミキモトホール (東京)
1987
  有楽町朝日ギャラリー (東京)
1995
  細見ギャラリー (東京)
2000
  ターナーマーティン・リミテッド・コレクション (パロアルト)
ターセラギャラリー (サンフランシスコ)
ギャラリーなつか (東京)
2001
  フォーム・ゼロ (ロサンゼルス)
ゲンズラーLA (ロサンゼルス)
ギャラリーなつか (東京)
2002
  AZギャラリー (ロサンゼルス)
ゲンズラーSF (サンフランシスコ)
ギャラリーなつか (東京)
2005
  ほくせんギャラリー アイボリー (札幌)
五十嵐威暢シリーズ展
 JRタワー展望室 (札幌)
 滝川美術自然史館 (滝川)
 滝川市立第三小学校 (滝川)
 クリエイションギャラリーG8 (東京)

WEBサイト:http://www.igarashistudio.com

Dragon Spine
(愛称:ニョキニョキ)

2004年

Untitled
2005年

KUMO
1996年

Lotus
1997年

sky dancing
2006年

vernacular
2005年

光の渚
2006年

山河風光
2003年
原点への遡行

すでにだいぶ言い尽くされたことだが、五十嵐威暢はあるときデザイナーとしての輝かしいキャリアを突然投げ捨てて、彫刻家となる決心をした。デザイナーの仕事を一切避けるためにアメリカに移住しデザイナーの友人とも付き合うのを止め、芸術家とだけ付き合うことにした、と言っていて、これはかなり思い切った、確固とした、不退転の決意だったのだろう。ところで彼をそこまでの行動に駆り立てた「アート」と「デザイン」の差異はいったい何だったのか。デザインは論理的に計算されてできあがるものだが、アートは偶然を許容し感性で突き進める自由がある。そしてまたアート ── 特に彫刻 ── は、素材との直接的な対話から生み出されるものである。五十嵐の述懐をまとめると以上のようになるが、面白いのは、いまの若い現代アート作家がコンセプトを重要視してかなり論理的に計算して作品を作っており、いわばデザイン的な発想でアートを制作しているのに対して、五十嵐のように一度デザインの本質をくぐり抜けた経験を持つ者が、かえって自由さや素材感との対話といったアートの本質を強く押し出しているようにみえることである。いわば、五十嵐の作品、その創作の営為は、わたしたちにアートの原点を思い出させてくれるところにこそその意義がある、といえるのではないだろうか。
五十嵐の作品素材は石、金属、テラコッタ、木など広範囲で、またその形態もさまざまなものがあるが、最近(2005年12月)行われた個展では、フィンランド産のバーチ材の合板に自在な形の穴をあけた作品が幾つも展示された。それらの形は森の木の葉や木漏れ日、海草や海の生物、泡や煌めく波のようにも見える。作者はやはりここで直観的に、自在に形を切り取ったのだという。この自由な形態は、作品に、海や空がみえる広大な部屋に展示したら相応しいだろうと思わせるような、いわば周囲の空気や光に自然に溶け込ませる「ナチュラルさ」の性格を付与しているように思う。それはまた、デザインからアートへと、何の制約もなしに自己の思うがままに展開をとげてきた作者自身の在り方や感じ方の反映でもあるのではないか。こうして、素材との対話を通じて、ひとが在ることの反映としてのアートを創り出すこと、このことも、五十嵐の作品がアートの原点を私たちに思い出させる主要な理由のひとつなのである。
〜 倉林 靖/美術評論家


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