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 ウェブスカイドア 現代篇
 


千葉鉄也
Chiba Tetsuya


[ 略歴 ]
1967
  神奈川県生まれ

[ 個展 ]
1989
  三木ギャラリー (東京)
1993
  「ベイシック・ジャッパン」フジタヴァンテ (東京)
1994
  「ダウジング・ママ」AKI-EXギャラリー (東京)
1996
  「EACH SELECTION―絵画の可能性」ギャラリーなつか (東京)
1997
  「ZIP・分割」ギャラリーαm (東京)
2001
  「新世代への視点」ギャルリー東京ユマニテ (東京)
2003
  「裏返しの鏡」ギャルリー東京ユマニテ (東京)
2004
  「千葉鉄也―クロニクル」switch point (東京)

[ グループ展 ]
1991
  「3人展」ギャラリーNWハウス (東京)
1992
  「第1回写真新世紀展」P3 art and environment (東京)優秀賞/一番人気賞受賞
1993
  朝日広告賞オブジェ賞受賞「プリント・アートの新たな表現展」すみだリバーサイドホール・ギャラリー (東京)
「第2回ジャパン・アート・スカラシップ」東京スパイラルガーデン (東京)
1994
  「デジタル・ランドスケープ展」キヤノンデジタルアートギャラリー (東京)
「NO DAUNT PAPERS 増刊号」ガレリアベリーニの丘ギャラリー (神奈川)
「プロメテウス展」P3 art and environment (東京)
「マニフェスト'94実行委員会企画展」パノラマルーム・ラフォーレ原宿 (東京)
1995
  「モルフェ'95実行委員会企画展」ギャラリーホワイトアート (東京)
1996
  「モルフェ'96実行委員会企画展」時の忘れ物 (東京)
1998
  「千葉鉄也・`島伸彦展」ギャルリー東京ユマニテ (東京)
2001
  「ギャラリーオークション」ギャラリーなつか (東京)
2003
  「ギャラリーオークション」ギャラリーなつか (東京)
「日本の春―寺田コレクション」東京オペラシティアートギャラリー (東京)
2004
  「フラット・プラット―The Far West Near East」神奈川県民ホールギャラリー (神奈川)
海岸通りギャラリーCASO (大阪)
「SPROUT」ギャラリー福山 (東京)

[ インフォメーション ]
● 2004年スイッチポイントにおける千葉鉄也個展の企画者、`島伸彦氏のテキストを閲覧希望の方は、スイッチポイントのHPへ。
 → http://www.switch-point.com

● 千葉鉄也過去作品の詳細はギャルリー東京ユマニテのHPへ。
 → http://www.kgs-tokyo.jp/human/2001/010723.html

● 千葉鉄也が編集長を勤めるアートサイト〈絵空泉esorasen〉。様々なアーティストや美術関係者へのインタビューを掲載します。3月1日掲載予定は画家OJUN氏。
 → http://ip.tosp.co.jp/i.asp?i=canvas109

「LIKE」
2004年

「LIKE」
2004年

「光と眼」
2004年

「劇中劇」
2004年

「裏返しの鏡」
2004年

「クレタ人」
2001年

「トリニティ」
2001年

「FRAME」
1998年
モノクロームの極光

千葉鉄也がここのところ描き続けている絵画は、一見、いかにもとっつきにくい。それは、何かを対象として描きだそうとしている絵画ではなくして、むしろ、絵画とはなにか、ということの本質そのものを追及しようとしている絵画なのだ。単に美しく気持ち良い感情を起こさせることだけが絵画の機能ではないし、人を外界の様々なテーマについて考えさせ、その思考をある方向性に導こうとすることだけが絵画の役割でもない。私たちが何かに出会い、突き当たり、感じ、考え、そのひっかかりをそのままでずっと保ち続けること、それがいつか私たちの生の別な局面において意味を持ち始めるかもしれないその時までその重みに耐えること、それもまた、絵画をみるということの大切な要素である。絵画をこのように考えることが、すでに、千葉の作品を考えるときのひとつの前提となっている。
絵画の本質とは何か、と考えるときにひとが陥りやすいのは、それを、物質性を欠いたヴィジョン(または概念)であると考えてしまうか、もしくは、ヴィジョンを欠いた物質性に還元してしまうか、どちらか極端に走りやすい、ということである。千葉の作品にみられるのは、そのどちらにも与そうとしない、強い意志なのだ。たとえば近年の彼のモノクローム絵画では、光がある方向から当たっているようなイリュージョンを感じさせるが、その画面に近づいてみると、凸凹したかなり物質的なマチエールが覆っている。このイリュージョンと物質性は観る人のなかで齟齬を起こす。だからこうした作品は、居心地が悪い。ただ、この居心地の悪さこそが、千葉の作品が見るひとに何らかのひっかかりを持たせることの出発点なのだといえよう。絵画を、既存の分かりやすい制度であるヴィジョンにも物質性にも還元させようとはせず、ひとがものを見、感じ、考える在り方について真摯に、徹底的に追及しようとする態度が、彼の作品を私たちに得難い経験をさせてくれるものにしているのである。
それと興味深いのは、千葉の営為が、ごく狭い範囲ながら、絵画を真剣に考えている美術家たちに影響を与えているらしいということだ。最近の、他の作家が企画する個展で千葉が取り上げられて文章で熱心に論じられていた事もなるほどと思わせる。このような追及こそが、志を同じくする者に、確かな希望を与えてくれるのにちがいない。
〜 倉林 靖/美術評論家


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