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 ウェブスカイドア 現代篇
 



赤崎みま
Akasaki Mima


[ 略歴 ]
神戸生まれ
1988
  武蔵野美術大学工芸工業デザイン科卒業

[ 主な個展 ]
1989
  村松画廊(東京)
1990
  ギャラリーNWハウス(東京)
1991
  ギャラリーココ(京都)
番画廊(大阪)
1992
  ガレリアキマイラ(東京)
ギャラリーココ(京都)
モリスギャラリー(東京)
1993
  ブレーンセンターギャラリー(大阪)
AKI-EX ギャラリー(東京)
1996
  ギャラリーαM(東京)
ギャラリー・ラ・フェニーチェ(大阪)
1997
  「たまゆらの間」ギャラリー・ラ・フェニーチェ(大阪)
1998
  ギャラリー・ラ・フェニーチェ(大阪)
2001
  「Luminous ー発・光・花ー」ガレリアキマイラ(東京)
2003
  「冬のオリーブ」アートスペース虹(京都)
2004
  「蓮のシリーズ」ギャラリー・ラ・フェニーチェ(大阪)
「ひかり と であう」富士フォトギャラリー大阪2(大阪)
 他

[ 主なグループ展 ]
1991
  「箱の世界」水戸芸術館現代美術センター(水戸)
「ウィンドウギャラリー/アートジャンクション6」
 阪急百貨店(京都)
1992
  「兵庫の美術家」兵庫県立近代美術館(神戸)
「京都市美術選抜展」京都市美術館(京都)
1993
  「芦屋の美術」芦屋市立美術博物館(芦屋)
「写真で語る」東京芸術大学資料館(東京)
1994
  「3Women's Photographs」キリンプラザ大阪(大阪)
「Water Front Air Play 屋外展」
 六甲アイランドマリンパーク(神戸)
「Nine Young Artists from Japan」
 オッチャードギャラリー(北アイルランド)
「Report On −1月17日を通過して−」
 ギャラリー・ラ・フェニーチェ(大阪)
「時の器 −この地平に−」アートスペース虹(京都)
1995
  「二人展」高島屋コンテンポラリーアートスペース(東京)
1996
  「アートシーン90〜96」
 水戸芸術館現代美術センター(水戸)
1997
  「手のなかのできごと」芦屋市立美術博物館(芦屋)
1998
  「テクノテラピー」大阪市中央公会堂(大阪)
1999
  「VOCA 現代美術の展望ー新しい平面の作家たち」
 上野の森美術館(東京)
2000
  「現代日本絵画の展望」東京ステーションギャラリー(東京)
2003
  「ひかりのたからもの」浜田市世界こども美術館 (島根)
「テイク アート コレクション」スパイラルガーデン(東京)
 他

[ パブリックアート ]
1997
  「11の扉」南芦屋浜団地ピロテイ(芦屋)

[ 受賞等 ]
1997
  月刊神戸っ子 ブルーメイル賞(美術部門)
2003
  第6回ADSP入選(資生堂によるカタログ制作)






「ゆり(しんじる)」
2004年

「ざくろ(つながる)」
2002年

「クローバー(であう)」
2003年

「オリーブ(むすぶ)」
2003年

「ぶどう つる(しんじる)」
2004年

「オリーブ(つたえる)」
2003年

「蓮−葉 ひとつ」
2004年

「蓮−花とつぼみ」
2004年
光の果実/光の種子

赤崎さんから「冬のオリーブ」と題された個展のパンフレットが送られてきたとき、咄嗟に思い出したのは、詩人・評論家の瀧口修造のことだった。瀧口は自宅の庭にオリーブの木を植えていて、たくさんとれる実を瓶詰めにして自作のラベルを貼って友人に贈っていたという。「贈る」とは、気持ちと行為が結びついたひとつの儀礼だが、赤崎さんが送ってくれたパンフレットに載っていたのもまた、心と行為と、そして言葉とがイメージに重層的に織り込まれた作品たちだった。それらの作品のタイトルでは「オリーブ(むすぶ)」、「ばら(ささげる)」、「ぶどう(もたらす)」、「ざくろ(つながる)」、「折鶴(とどく)」といったように、ものの名前と行為とが結びついている。オリーブは平和の象徴だし、薔薇は愛や美や純潔の、ブドウは収穫や信仰の象徴で、これは文化的・社会的にもののイメージに与えられてきたシンボルの内容だが、赤崎さんの作品では、そうした普遍的な象徴と、ものやイメージに対する、作者や観客の個人的・身体的な記憶や感情や経験とが微妙に出会い、交錯して、それらにある種の「かけがえのなさ」という性格を与えることになる。 彼女は以前からゼリーのような不思議な被写体を通じて、光とその生命感を表現してきたが、最近では、その作品はいっそう、人間の感情や記憶の微妙な襞をも内包するようになった、と感じる。イメージとものとは判然と分けられるものではないし、それらはまたひとの心と分かちがたい。薔薇のイメージはまた私たちの心そのもののあらわれなのだ、といっても、あながち間違いではない。そして彼女の作品はたぶん、そのように受け止められることを欲しているし、そのようにできている。いちばん最近の個展は「ひかり と であう」というタイトルで、それらは蓮の花や実やものたちをいっそう精妙に映し出したものだが、ここで彼女は、私たちが光と出会える唯一の場所はそれぞれのひとの心の奥底なのだ、ということを明らかにしている。人間の心には光の種子が宿っている、とは、古今の多くの宗教、哲学、思想が語ってきたことだが、この種子を花開かせ果実として実らせるには困難な現代という時代にあって、こうしたイメージを見つめることの意味は限りなく深いのである。
〜 倉林 靖/美術評論家